がちゃん

いちどは行きたい女風呂のがちゃんのレビュー・感想・評価

いちどは行きたい女風呂(1970年製作の映画)
2.5
ダイニチ映配作品です。

ダイニチ映配とは、戦後の娯楽としての映画産業がテレビの普及により斜陽化が進み、経営的にも青色吐息だった映画会社の“大映”と“日活”が手を組んで盛り返そうとしていた会社でした。

しかし、活動期間としては1970~1971の実質2年間でした。

大映は倒産し、日活は「ロマンポルノ」に方針を変えたため、統合された両社の配給網も崩壊してしまいました。

しかし、迷走しながらもダイニチは、「反逆のメロディー」「戦争と人間」「高校生ブルース」「おさな妻」「八月の濡れた砂」「不良少女魔子」「遊び」など、後年、ある程度評価される作品も送り出していました。
低予算ながら頑張っていたと思います。

が、玉石混交だったのも事実で、浜田光男、沖雅也という看板スターを起用しながら、この作品などは実に残念な仕上がりになってしまった。

拳をどこに置いたらいいかわからなくなった怒れる若者たちの白けた空気をどうにか発散させたいような気持はわかるんですけどね。
もっと振り切ることができるテーマだと思われました。
もっと面白くできたと思う。
悪ノリが過ぎたタイトルも滑っちゃったね。
(企画段階でのタイトルは“アタック女風呂”)

吉永小百合とのコンビで青春スターだった浜田光男も、暴漢に襲われ失明寸前のケガを乗り越えてコメディ路線に乗ろうとしていたのだが、
まだ、硬い・・・な。

風呂屋の番台の息子として沖雅也が出演。
これも微妙でした。

でも、クライマックスの女湯突入シーンは、実際に突入された女の子たちも素で笑っていて、本当に楽しそうでした。
まさに「無邪気」という表現がピッタリのシーンでした。

その中で、一番ハマっていたのが、
ヒロイン夏純子の兄を演じた前野霜一郎。

まさにヒッピー崩れといった風貌で、アングラ劇団にうつつを抜かし、
LSDでトリップしたりする演技が最高でした。
「新宿アウトローぶっ飛ばせ」でも暴走族のメンバーの一人として出演していましたが、あの時は存在感が薄かった。
でも、この作品の彼は良かったですね。

そんな彼は、1976年3月23日、ロッキード事件で疑惑の渦中にあった児玉誉士夫邸にセスナ機で突っ込み、自殺してしまいます。
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