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バグダッド・カフェ<ニュー・ディレクターズ・カット版>のドントのレビュー・感想・評価

3.9
 1987年。幸福な映画です。ベガスから240キロの荒野にて伴侶とケンカし車を降りたドイツ人のご婦人ジャスミン、歩き続けて着いたのはガソリンスタンド兼ダイナーwithモーテルの「バグダッド・カフェ」で、ここにも夫とソリが会わない怒りっぽい妻ブレンダがいた。
 91分版と104分版とこの108分版があり、私が観たことあるのはたぶん91分版である。疲れた人間が、くたびれた場所で、同じく疲れた人間と出会って、互いに心を潤していくというお話がどうしてこうもイイのかと言えばまず主役のふたりの好対照ぶりがイイからであろう。おっとり型と強気型、体型も育ちも国も違うふたりがぶつかって打ち解け合う。ありきたりと言うのは易しい。しかしそれに収まらぬ魅力がある。
 次に広大なアメリカの荒野の風景、場末のダイナーの雰囲気が乾いていてよい。こういうカサカサの場所で人と人とがこう、ぼんやりと交流することで、わずかなウェットさがより沁みて、普通のドラマの倍増しのよさになるわけである。かつてハリウッドにいた男、やる気があるようなないようなマスター、ブーメランお兄さん、トラックの運ちゃんたち、こういう実在感のある人々が醸し出す太い温かみがグッと心を支えてくれるし、そのまま出されたら場末感が強そうなショウにも小さくても確かな幸福感が溢れている。
 最後にこれらを土台にしたドラマが、詳しい説明なしにゆるゆると何となく展開していくのが素晴らしい。彼女ら彼らがどういう人生を送ってきて、どうしてここにいて、何故心を開くようになるのかが映画ではこと細かには語られない。説明や回想や過去語りはなく、単に今起きていることが撮られていくだけである。スキマが多い。作り込まれていない故に余裕が生まれ、幅ができ、この世界、このカフェに自分も入っていけるような気持ちになっていくのだ。
 ミニシアターブームを牽引した作品であり、こういうゆったりして「ただ、そうある」というような人間ドラマはなかなか存在しない。権利が切れて本日2023年12月31日でサブスクから消えてしまうらしく、ソフトも中古しかない(ディスクのレンタルはできる)。そういう権利とか著作権とかの野暮なあれこれで観れなくなるなんて事態は、本作の美しさから最も遠い場所にあることなので、是非スッと観れるような環境が整ってほしいものである。バグダッド・カフェはどんな客も拒まない。心の滋養のような映画です。なお字幕は我らが戸田奈津子、けど、こういうちょっと古風な物語には彼女の古めかしくもパシッとした翻訳がしっくりくる。
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