青山祐介

河の青山祐介のレビュー・感想・評価

(1951年製作の映画)
4.5
『私の映画作家としての形成に大きな影響を及ぼした要素の一つとして疑いなく水を挙げることができる。<水>抜きの映画など私には考えられない』
(ジャン・ルノワール自伝より)

ジャン・ルノワール「河」英題 The River 仏題 Le Fleuve 1951年 フランス、イギリス、インド、アメリカ映画
インドに長く暮らす英国の作家ルーマー・ゴッデンの少女時代の自伝的作品の映画化です。英国映画「黒水仙」の原作者として有名ですが、児童文学のゴッデンを知る人の方が多いかと思います。ゴッデンは「河」の映画制作に深くかかわり、脚本にも参加しています。ナレーションを多く使ったことは、自伝的な要素を強調したかったからなのでしょうか。ゴッデンは英国のイースト・サセックスのイーストホンで生まれ、幼いころ父親の仕事の関係でインドに移り住みます。一時英国で教育を受けるために帰国をしますが、英国の因習的な教育になじめずインドに戻ります。1930年にバレエ学校を創設、結婚をいたしますが、夫のために多額の負債を抱え、苦労をかさね、山の小さな小屋に移り住み創作をはじめます。最初に認められたのが「黒水仙」でした。1947年からは児童書を書き始めます。とくに知られている作品は「人形の家」でしょうか。
他方、ルノワールは<水>の映画作家と言われています。印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男として生まれました。彼の独特のリアリズムと抒情感覚は親譲りのものなのでしょう。そして、それは後のゴダール、トリュフォー、ヴィスコンティらに大きな影響をあたえます。
当時、戦争を避けハリウッドにいたルノワールに、ハリウッドの花屋組合が、資金を提供して、新しい映画の制作を依頼します。ルノワールはその申し出を受けるかたちで、1949年インドにわたり、ルーマー・ゴッデンの協力をえて、映画「河」の制作に撮りかかります。映画が印象派の絵画を見るような抒情的な色彩感覚の美しい作品となったのも頷けます。撮影は甥のクロード・ルノワールが担当し、映像というカンヴァスに絵筆をふるいます。ルノワールの最初のカラー作品でした。ルノワール57歳、ゴッテン44歳の時です。
「河」は「黒水仙」のテクニカラーとはまったく違った美しさもっています。同じインドを舞台にしていますが、「黒水仙」はすべてを英国内のセットで撮影して、「聖なる山カンチェンジェンカ」の清冽な厳しい美しさと「モプ宮殿」の官能の妖しさを見事に表現しています。「聖なる山」は破壊と死の山です。それにくらべ抒情的な「聖なる河ガンジス」は死と再生の河です。オールロケーションで撮影されたガンジスのゆったりとした流れは死と再生にふさわしい豊かな時と記憶を映していきます。「黒水仙」のフリシュナとラーダはシスターたちの心をかき乱し、「河」のフリシュナとラーダの踊りは生命の神秘にあふれています。
おおらかでふくよかなガンジス河を前にして、ルノワールとゴッデンは意気投合したに違いありません。「河」はハリエットの目線で描かれた、ゴッテンにとっての死と再生の象徴であり、ルノワールにとっても(ジョンのように)次の段階へ踏み出す再生の映画でした。
ヒマラヤの高峰(時を奪う山の冷気)とガンジス河(滔々と流れる時の持続)、空気と水、ルーマー・ゴッテンとジャン・ルノワール, 「黒水仙」と「河」 … それを比較することによって、ひとりの男の思いと、ひとりの女の想いが、「悠久の大河の流れ」の中に響いて聞こえてきます。
青山祐介

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