ニューランド

飢ゆるアメリカのニューランドのレビュー・感想・評価

飢ゆるアメリカ(1933年製作の映画)
3.7
これはちと凄い。ヘイズコード制定前はこんなにも直接的描写が出来たのか。ウエルマンのタッチも抽象的ドラマ力、それによる人物同士間の集中・求心性の純度などの方向は取らず、移動も切迫し内から追われるようで、正対する切返しはごく僅かで90゚辺を中心として脇への流れ・新局面が開かれてる。図もカッティングもせせこましく、外と内の汚れと追い立て感覚を常に抱えている。
戦場の栄誉の捉えの皮肉と甘んじ、戦傷の鎮めの為からの薬物依存、ガチガチの共産主義者も闘争外入金には疑問なし、経営者・資本家の善人面の裏面の公金横領、機械化による労働者一方的解雇、失業者側に立っただけで投獄、スト鎮圧の一方的暴力、逮捕・出所後も共産主義者一方的レッテル貼りととことん追放、そこでも私財投げ出し身が危なくも他人の事だけ考え得る楽観主義の力と希望。力ある側の弱き立場の者への偏見・排除・卑劣は殆ど救いがないほどリアル・苛烈。が、おどおどしても、安易・自己本位に走らぬ者の目は、本質暖かく信頼を呼ぶ。本人も立場を越えて、自己第一を考えつつも、実際以上に強く大きくなってゆく。
しかし、可愛いヒロイン(奥さん)がスト鎮圧に巻き込まれいきなり命を落とすとか、主人公が追放された街の貧民たちに崇められつつも、本人は流浪を余儀なくされ、肉体的末路も近いところまで来てる終盤とか、これ以降のアメリカ映画の悲劇の真綿でくるみヤンワリ表現というのとはまるで違うストレートな力が伝わる。それでも精神的には楽観主義が覆ってて、主人公の遺志?を次いで、貧民救済を続けてる、譲ったも彼を密か・暖かく思い続けてる、下宿屋の女は『怒りの葡萄』の主人公の母親的にラストを締める。代表作『つばさ』以外でも、逞しく容赦なくしかし剥き出しでないヒューマンなテイストで現実にきりこむウエルマンには、今も熱狂的ファンであるを表してる人がいることを身近に知っている。
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