青山祐介

奇跡の青山祐介のレビュー・感想・評価

奇跡(1954年製作の映画)
4.8
『いな、われわれには神はわからない。われわれキリスト教徒にも彼がなぜ沈黙しているか、なぜとっくに悪魔をしめ殺さなかったのか理解できない。…だからこそ神はわれらにイエスを与えたのである。…われわれは啓示を通してのみ真理を受け取るほかはない。われわれはイエスの権威の上に、ただこのものの上にのみ、われらの信仰を立てる。だから彼を世界の救い主と呼ぶことになる。』カイ・ムンク「説教集」より

カール・デオドール・ドライヤー「奇跡(ORDET)」1954年 ベルギー、デンマーク映画
原作:カイ・ムンク(Kaj Munk) 戯曲「言葉 ― 今日の伝説」1925年(初演1932年)

原作は「抵抗の牧師」といわれたデンマークのカイ・ムンクの戯曲である。ムンクは僧職者であるだけでなく、詩人、劇作家でもあった。反ナチス運動を展開し、1944年ゲシュタポにより虐殺されることになる。謎の多い、というよりもわれわれの理解を超えたところにいる特異な人物であった。ナチスに対する抵抗運動で、死後は英雄として称えられるが、ナチス台頭の頃は、ヒトラーを理想主義者とみて、その激烈な言動に親近感をもっていた。

キルケゴールやイプセンの洗礼を受けたムンクは、ヘロデ大王を描いた「1理想主義者」や暴君ヘンリー八世を題材にした「キャント」等の劇作を、王立劇場に送るが、なかなか取り上げてもらえなかった。王立劇場の審査官であった文芸評論家のハンス・ブリクスは、いままで演劇の題材となることが少なかった農民を主題にして劇を書くことをムンクに勧めた。こうして1925年、代表作となる四幕の農民劇「言葉」が書かれた。しかし、採用はされたもの、王立劇場で上演されることはなく、1932年に民間のベッティ・ナンセン劇場で初演をむかえた。公演は大当たりをとり、問題作として北欧諸国に一大センセーションを巻き起こすことになる。劇作家カイ・ムンクの誕生である。

ドライヤーはムンクの戯曲に何を見たのか?どのように脚色し、何を削除し、何を付け加えて描いたのか、それが最も大きな興味であった。
グルントヴィ派は、この世への奉仕として、社会活動を重視し、信仰を「生きたことば」で置き換える。ピエティスト派の信仰は、神への奉仕、インドル・ミッション(内的使命)といわれ、穢れた外の世界(世俗の子)と絶縁し、心の純潔を保ち、魂の内面に心を集中する。デンマークの国教である福音ルーテル派教会の牧師も登場する。そして、イエスであると自称する狂気のヨハネスがいる。彼は誰よりもムンクに近いのかも知れない。信仰とは宗派のエゴなのか?この四つの宗派の確執が、それぞれのエゴとエゴと絡み合い、男と女、父と息子、父と娘、、イプセン風の室内劇がはじまるのである。

「奇跡」は信仰の可能性をわれわれに問いかける。ドライヤーが制作した信仰の宗教映画は5本あるが、その代表作が「裁かるるジャンヌ」と「奇跡」であろう。この二つを別々に観るのではなく、対比することによって、彼の信仰の理念をより深く理解することができるのではないだろうか。死と復活、信仰と恩寵、魔女と狂気、女性の神秘性とリアリズム、地上の教会と天上の教会、無声映画とトーキー、クローズアップとロングショット。無声の映画「裁かるるジャンヌ」では『台詞(言葉)はいわばクローズアップで提示』され、言葉の戯曲「奇跡」ではロングショットで描かれた静謐で美しいモノクロの映像が、言葉の無意味さを突き付けてくるのである。また彼はカラー作品を撮ることがなかったが、それはカラーにすることによって映画が作りものになってしまうからであろう。これが、ドライヤーの宗教経験の到達点なのであろうか。いや、彼は何も解答をあたえていない。言葉はインガの身体のように硬直が始まっている。最後の場面に感動を覚えるのは、ヨハネスが「信じるということが何を意味するかようやく分かった(ドゥルーズ)」からである。

ドライヤーはイエス・キリストの伝記映画の撮影にとりかかる直前に死をむかえている。脚本も完成し、衣装のデザインも決まっていたというが、どのような映画になったのか?おそらく、その映画で、「奇跡」で提示された、信仰と恩寵にたいするドライヤーの解答があったのではないであろうか。
青山祐介

青山祐介