青山祐介

離愁の青山祐介のレビュー・感想・評価

離愁(1973年製作の映画)
4.3
女優ロミー・シュナイダーは『生きながら皮を剥がれた人体標本である』共演回数が一番 多く、心をゆるしあった「偉大な俳優」ミシェル・ピコリの謎めいた言葉です。
(佐々木秀一著「ロミー 映画に愛された女 ― 女優ロミー・シュナイダーの生涯」国書刊行会 2009年)。

この表現は、ピコリ流の、というよりもピコリだからこそできた、ロミーの演技に対する評価なのでしょう。ロミーの輝き、美しさ、肉体、官能的な存在感、強靭さ、脆さと危うさ、卓越した演技力、欲望し恐怖し微笑し愛する表情、深く青い瞳、それはどれをとっても銀幕を超えたロミー・シュナイダーの人生そのものになります。ロミーの映画は、どうしても彼女の実人生と重ね合わせて観てしまいます。1973年の「離愁」もそのひとつで、ロミー・シュナイダーを語るうえで欠かすことのできない作品(人生)なのだと思います。
ロミー・シュナイダーは、ヒトラーがオーストリアを併合した1938年にウィーンで生まれました。祖母は宮廷女優、父ヴォルフは舞台、映画俳優として活躍しました。ヒトラーと親交があるといわれる母マグダも舞台、映画女優として名声を確立します(母マグダはロミーよりも長生きで1996年に亡くなります)。翌年、ナチスドイツはポーランドに侵攻、英仏はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦がはじまります。「離愁」の舞台は1940年5月、
ドイツ軍はフランス北部に侵攻するとみせかけ、6月14日、非武装都市パリに入城、ナチ占領下の時代となります。フランスは交戦をするでもなく退却を繰り返します。一般市民も避難を開始します。収容所のある過去に戻るのか、それとも先のない未来に行くのか。北フランス市民を乗せた「集団避難列車」は北部のスダンからブルゴーニュのスヴェール、オーヴェルニュー、終着駅のラ・オシェルまで「映画史上屈指のラスト・シーン」に向けて、ロミー・シュナイダー自身の人生のように春の野を走りぬけます。
原題は「列車(Le Train)」、監督はピエール・グラニエ=ドフェール、ロミーとの最初の映画になります。彼と組んだ作品は、そのほかに同じくナチス台頭を背景にした「限りなく愛に燃えて(1976年)」があります。この映画にもロミー・シュナイダーの美しく悲しい姿を観ることができます。音楽はフィリップ・サルド、パスカル・ジャルダンの寡黙な台詞がロミーの表情を引き立てます。原作はジョルジュ・シムノン、彼女自身が強く出演を希望したといいます。
邦題の「離愁」とは、よくも悪くも日本人の好みにあわせてつけた題名でしょう。悲愁、哀愁、旅愁、離愁、いずれも悲しい別れを主調としているからです。
妻や娘と別れるジュリアン、連れ去られた母や父と別れたアンナ、ジュリアンとの別れ… 一方、列車はロミーの人生の様々な別れが、列車の停車する沿線の駅のように通り過ぎてゆきます。別れはロミーという列車の通過駅なのです。
アラン・ドロンとの別れ、ハリー・マイエンとの離婚と死、ジャン=ルイ・トランティニヤンとの短く激しい恋と別れ、パスカル・ジャルダンの死、祖母ローザの死、祖国ドイツとの別れ、そして、やがて来る愛息ダヴィットとの別れを暗示するかのように、別離の悲しい「避難列車」は、女優ロミー・シュナイダーの命がつきる1982年の終着駅に向ってひた走りに走ります。
『彼女はいつまでも演じ続けるだろう…というのも、ロミーは時というものが損なうことのできぬ顔を持っているから。時は彼女を、開花させることしかできない(C.・ソーテ)』)
(クロード・ソーテル、前掲書)
青山祐介

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