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真人間
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『真人間』に投稿された感想・評価

✔『真人間』(4.0p) 及び『野口英世の少年時代』(3.6p)▶️▶️

 美談に導く、大きな、個人を超えた力による映画は、どこかに奇妙な新鮮な観点があるかが、ポイントとなる。本来の製作意図を外れたとしても。時局映画でもあり、ラング米映画にインスパイアされたという『真人間』。始めタイトルで分かってた筈だが、驚きが途切れる事無かったは、岡崎のカメラだった。なんというナチュラルさ、当時の、或いはそれを越えた現実そのものが眼前にあるようなカメラ。硝子戸と薄いカーテン越しに影の方が主か、透けて見える植物の葉のニュアンスを始め、ここには陰影がないようだ。濃いグレー·弱いグレー·白の間には、潰れ·対称使用は一切なく、現実にそこにいて、それも映画的美や壮麗さと無縁の、しかし現実にそこに立つというより、1つ広い神の目でクールも特殊さに凝り固まらない、一般的模範性を無意識に引き寄せた様な美術·サイズ·構図·光の在り方·物の映え方と透け方·それらの組合せだ。そこには、特にドラマも要らない。状況も要らない。拍子抜けと捉えられても仕方ないラストも気にならない。只、リアルというより、あるべき呼吸と姿勢が当たり前に、かつ自分らの生活·生き様の理想の、現実の枷を振り払うを必至としない、伸びやかさとナチュラルさがある。カメラの控えめな動き·フォローの仕方も、結果どんでんら対応切返し·そのアップサイズ抜き移行も、空間や人物間正対に斜めめも自然に入る、格闘自体の凄まじさと冒頭ではカットも刻まれ·揺れめも入る。眼前世界があっての、それへの寄付きの結果だ。鉄道下のくり抜き通路も、堀の小さな石橋への夜の辿り着きと光の当たり方も、自然と構築物が招くかたちだ。
 格闘も、食事風景も、歩き語りも、縁側から庭での佇まいも、工場正門の出入りも、事務所の机の配置も、喋り方も、ドラマより先に在り、そちらの説得力がある。役者崩れで傷害や悪い付き合いがあっての、逃げ帰る様な帰郷と偶々の友の出征場、友の思いやりで自分に代わる家族の護り手·職場の欠員埋めは、恩にあづかる以上に自然に嵌り、当時として·今でもだが気丈が無理なくスマートな友の妹や、息子代わりに立てるに違和ない濁りないその母によって、既成事実化して向こうからは結婚も見える迄ゆきく。過去を悔い恥じての夜逃げ自己決断や、持参金と美人目当てを突付いてくる·妹に気ある社長息子や傷負わせた相手のその友の去るようにとの脅し、にも不安定になるが、その前に、過去の告白も友の妹に普通に出来る。時代的な女性立場の二の次·物品化の風潮も、価値観に従いながらそれ以上の自立と骨の根っこを持った女性像が印象として先に立つ。持参金の額と、それへの男の側の主体の萎み具合は、戦死兄の、既に国へ献じたので解消される辺りの限界はあるにしても。時代の後進·不完全さと、人間のそれを跨ぐポテンシャルが、今を生きてくる。
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 なんかヘンテコさが心地好くこっちを解放もしてくれる『真人間』の日本のこころ超越に対し、併映は、逆に映画本来·本道の魅力をこれでもか、というくらいに詰め込んだ『野口英世~』で、これには老若関係なく、感涙に咽ぶ人が、少なからずいたのにはちと驚いた。野口の実像については、昔の褒めそやしから、かなりあって地に堕ちてきたにしても、それとは無関係にこれは映画として、立派なものだ。撮影も、暗いところはしっかり潰し、陰影や壮観がせり出し、猪苗代辺を中心とした雪と自然美のロケハン·ロケ·限界ないカメラポジション、切返し中にも互いを寄り·複数人や大自然を捉え尽くすカメラ移動も模範的だ。家族·教師·学友·共同体の人々の描き込みも、結局は一体化するのが分かってても、かなりゴツゴツと手触りがある。貧困や、自身の片手の火傷での指が固まっての不都合やコンプレックスも、今の世の合理性ではなく、当時の割り切れぬ侭での心の纏まる暖かさと力に至る。学友らの、からかい·差別から、味方に廻ってくる、温もりも自然にくる。が、それらの中でも、息子に勉学だけに集中させる環境作りを自明とし、息子の勉学にも生でコッソリ触れてみようとしてる、母の姿は印象的で、その息子の内面への接近欲は、美談を越えている。しかし、それを含め、バランスを逸脱はしない。