ヨーク

汽車はふたたび故郷へのヨークのレビュー・感想・評価

汽車はふたたび故郷へ(2010年製作の映画)
3.9
渋谷のミニシアターでやってたイオセリアーニ特集で観ました。オタール・イオセリアーニという人のことは寡聞にして存じ上げなかったのですが予告編とか見てる分にはなんか良さげな感じがしたので、まぁ適当に観に行くかと出かけたのだが、日替わりでかける映画が変わる特集上映なのにまったく何も調べずに行ったもんだから劇場のカウンターで「あの、なんとか監督のやつのチケット一枚」と要領を得ない言い方になってしまい「イオセリアーニ特集ですか?」と聞かれて「そうそう、それ」「タイトルは何ですか?」「一番近い上映時間のやつ」という適当すぎるやり取りをしてしまったのでした。窓口のメガネのおねーさんありがとう、そして今度からはタイトルくらいは調べてくるよ。
でもこの『汽車はふたたび故郷へ』という映画は、そういうテキトーな人間の俺にはいい感じに楽しめる映画でしたね。
あらすじはジョージアで子供の頃からカメラ抱えて撮影とかしてたガキんちょが主人公で、彼は大人になって映画を撮るようになったんだけど当時のジョージアはソビエト連邦の一部で検閲が厳しく撮りたいものを撮らせてくれなかった。だったら、と主人公はフランスのパリへ行きそこで映画監督として大成を目指すのだが、そっちはそっちで商業主義が激しくやれ「主役はこうじゃなきゃウケない」だの「オチがこれではスポンサーがつかない」だの(この辺寝てたからはっきり覚えてないけど多分そういう感じ)と不自由ばかり。果たして主人公は取りたい映画を撮れるのか、みたいな感じのお話です。
あらすじを書くと大体そんな感じなんだけど、でも本作が面白いのは主人公が撮りたい映画を撮るまでの苦難の道とかそういうのは特に描かれないんだよね。要はドラマチックな部分があんまりない。こういうあらすじだったらソビエト時代のジョージアの検閲の怖さとか、いざパリに行ってからもプロデューサーとの衝突だとかを盛り上がるポイントとして描くと思うんだけど、その辺の緩急とかお話の山や谷がなくて結構ダラダラした感じで進行するんですよ。もっと具体的に言うとカメラが動かないしカット数も少ない。例えば主人公とプロデューサー的な人が話しているとき、ハリウッドやヨーロッパの映画なら登場人物の感情を伝えるために顔をアップにして表情を詳しく見せたり、会話している肩越しに相手の顔を捉えてお互いの関係性を示したりとかするんだけれど本作ではそういうのがほぼなくて定点カメラのように俯瞰でその場を見せているだけなんですよね。
あんまり詳しいわけではないがこの辺が実にソ連映画の文法という感じがする。なんか旧ソ連や東欧の映画ってそういう風にカメラを動かさずに一つのシーンをじっくりと撮るという、そういうイメージないですか? 俺だけだろうか。本作もお話自体は軽いノリのドタバタなコメディかなって感じなんだけど、映像の手法はそういうソ連映画っぽい感じでしたね。そういう画作りなのでやや固い印象を受ける画面になるのだが、上記したようにお話自体やそれを見せるための演出は敢えてドラマ性が排除されていて緩く、適当な感じなんですよ。そう、ここで最初に書いた適当というワードに結び付くのである。
このテキトー感がいい感じに作用している映画でしたね。どこに行っても不自由はまとわりつくのだなぁ、自分の思い通りにいくことなんて何もないなぁ、とか人生はそんなことの連続なわけですがそれらを全部、まぁいいか、くらいのノリで進んでいってしまう。別に主人公が逆境に陥ってもそれを気張って乗り越えたりせず、テキトーにやり過ごしてしまう。その緩さがいい感じで、こっちもテキトーに観てもいいかって気分になってところどころ寝ちゃいましたね。名作とか傑作とかいうほど大仰な映画ではないと思うんだけど心地よくていい映画でした。冒頭の部分でガキんちょ三人が撮影してるところとか良かったなぁ。クソガキ感が最高でした。
ちなみに最初に書いたように何も調べずに劇場へ行ってたまたま上映時間が近かったのが本作なので、観終えてググってから知ったんだけど、本作はイオセリアーニ監督の自伝的作品だったんですね。まぁ途中からは、そうなのかなぁ、と思いながら観ていたが経歴と照らし合わせたら確かにストーリーと一致する。自身の自伝的作品をこのような淡々としたフラットなものに仕上げてしまうというは、なかなかに信用できるし粋な監督だなと思いました。
いい感じのリラックス映画でしたね。問題点があるとすればリラックスしすぎて寝てしまうことくらいか。面白かったです。
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