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デスプルーフ in グラインドハウスのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 映画は冒頭、一つの車に乗った3人の女の他愛もない馬鹿話を延々描写する。それはまるで『レザボア・ドッグス』冒頭の円卓を囲んでの馬鹿話のように、一見何の当たり障りもない会話に見えて、各々のキャラクターを伝える役割を担っている。その会話の内容から、女たちの中にオースティンのラジオ局で一番の人気DJ、ジャングル・ジュリア(シドニー・タミーア・ポワチエ)がいることがわかる。彼女は久しぶりに地元に戻ってきた大学時代の女友達アーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)と親友のシャナ(ジョーダン・ラッド)を連れて、田舎町の酒場で派手に遊ぼうと画策する。その後、車はあるバーの前で停まる。そこはグエロスという名の田舎町の感じの良いBARで、1人また1人と店に吸い込まれるように入っていくが、嫌な視線を感じたのか、女は後ろを振り返る。彼女たちを付けて来た1台の車が停まり、明らかにこちらの様子を伺っている。光の加減なのか何なのか、女の視点からは残念ながら運転手の顔は見えない。この場面を観ていくつかの映画との類似点を見つけるのは容易い。女たちの楽しい時間は、ドライバーによって脅かされている。店内で散々馬鹿話をした後、女たちは2件目にテキサス・チリ・パーラーへと足を運ぶ。話と共に酒も弾み、女たちは徐々にタガが外れ始める。猛烈な雨の中、一服するために外に出たジャングル・ジュリアは、激しい雨の中、停車する一台の車を発見する。それはグエロスで自分たちを見ていたあの車である。ドクロマークの付いた不気味なシボレーを乗り回し、顔に傷痕のある謎の中年男は、通称スタントマン・マイク(カート・ラッセル)というらしい。女たちは当初はスタントマン・マイクの存在を気味悪く思うが、酒で陽気になっているのも手伝い、つい心を許してしまう。テキサス・チリ・パーラーのジャンクフードで食欲を満たした初老の男にも、果たすことの出来ない欲望がある。その夜、凶行は起こる。

 今作は『デス・プルーフ in グラインドハウス』というタイトルからも明らかなように、エクスプロイテーション映画やB級映画などを2、3本立てで上映していたアメリカの映画館へオマージュ的作品である。フィルムに傷が入っていたり、焼けたような独特の質感をしているのは、これらの劇場にかかっているフィルムが全国各地の使い回しによるものだからに他ならない。タランティーノはこのある種の「ロー・ファイ」な表現方法として、フィルムを故意に劣化させる。これらの映画館では、間違っても文芸大作などかかるはずもなく、劇場に足を運ぶ若者の趣味・嗜好は専ら下品で猥雑な方向へ向かっていくのは致し方ないことだった。ポルノ系映画やスラッシャー映画において、女たちは男の性欲を満たすために存在し、破壊的な車はしばしば男性器のメタファーとして使用された。スタントマン・マイクの一つ目の犯行から時制が14ヶ月後に飛び、テキサスからテネシーへ、やがて第二の犯行は準備される。路面店の前で、スタントウーマンのキム(トレイシー・トムズ)とゾーイ(ゾーイ・ベル)、メイク係のアバナシー(ロザリオ・ドーソン)、新進女優のリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)の4人の乗る車が、新たな男のターゲットになろうとしている。4人の女の他愛もない馬鹿話はいつまで続くのかと思われた矢先、タランティーノのオールタイム・フェイバリットであるリチャード・C・サラフィアンの『バニシング・ポイント』やジョン・ハフの『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』が唐突に引用され(『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』は『ジャッキー・ブラウン』のテレビの中でかかっていた)、女たちの狂乱の終着地点として、1970年代型ダッジ・チャレンジャーでのアクロバティックなスタントライドに挑戦することになる。
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