McGuffinマクガフィン

或る殺人のMcGuffinマクガフィンのネタバレレビュー・内容・結末

或る殺人(1959年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

落ちぶれて釣りばかりしている弁護士(元検事)に依頼が舞い込んだ。自分をレイプした男を殺した軍人の夫を弁護してほしいというものだった。被害者っぽくない妻に、殺人を犯したのに堂々としている夫。事件の記憶がないとか所々怪しい。事件の真相をめぐって検事と対立する。

弁護士にジェームズ・スチュワート
検事にジョージ・C・スコット

法廷でのシーンがメインで過去の回想シーンが一切ない。個人的な視点が描かれず全てが客観的。そのため観客は陪審員と同じ気持ちにさせられる。これがこの映画の最大の演出のポイントである。であれば裁判について徹底的に考えようじゃないか。プレミンジャーの挑戦を受けてみた。

OPのソール・バスのタイトルシークエンスは最高におしゃれ。

釣り好きの主人公のキャラを活かして冷蔵庫が魚でいっぱいだったりユーモアもある。

アーサー・オコンネルが酒好きだったり、ゆで卵に塩かけすぎていたりで今作のお笑い担当なのかな。

『本物のピカソの複製画』って🤣

肝心の法廷ではパンティ、射精、避妊具、精子、この時代の映画だと過激な言葉の羅列だけれど裁判ならこんなの当たり前だよね。

ずっと裁判というものがよくわかっていなかったが、基本的には〈無罪〉を主張するところからスタートする。証拠もあって目撃者もいて、人殺してるのに無罪主張ってなんなんだろうって思ってたけど。100点からマイナスしていくみたいな。無罪の主張から始まり、検察側がそれを突き崩していくのが当たり前。

中には『わたしは罪を犯しました』とあっさり認め、裁判の手間を省く正直者もいる。劇中、酒を盗んだことを裁判所で認める貧乏なおじさんが登場した。そういった軽犯罪の例を見せているのも面白い。一度の鑑賞では忘れてしまいそうな些細なシーンですが気になった。

犯罪を犯したと思われる人間に対して『あの人はいい人だからそんなはずはない』
前科がある人間に対して『こいつは信用ならない』
これは危険な考えだとも感じた。裁判というのは情に流されず冷徹にやりとるする一方で、陪審員を情で誘導する矛盾な場でもある。

人間は常に犯罪者の顔をしているわけではない。善人が常に笑顔の仮面をつけているわけではない。いい人だから罪を犯さない、日頃グレてるから全てが悪いとも言いきれず、グラデーションのようにいろんな色(顔)を持っていて、そのどれもがその人なのです。その中で時折覗かせた黒い部分だけを切り取って公平に裁かなければいけない。

綿密な捜査、法廷でのやり取りを丹念に描いている割には、女性の心情に寄り添った描写がないのはローラに疑いを持たせるためなのか?映画の趣旨や方向性のため不要とされたのか?
疑問の残るラストではありましたが、次の依頼に気持ちをサッと切り替えるのもまた弁護士の生き様なのでしょう。
医者や教師が一人の患者や生徒にこだわっていては仕事になりません。弁護士だってそうです。

「落下の解剖学」は本作をオマージュしているらしい。

映画的な面白さを求めるならば「情婦」「真実の行方」の方が起承転結が良いですが、裁判の疑似体験をしているような唯一無二の面白さがあった。