Tully

俺は、君のためにこそ死ににいくのTullyのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

想像していた内容とあまりにも違っていて驚いたというのが率直な感想です。もっと特攻を賛美した映画かと思っていましたが、決してそうではありませんでした。「石原慎太郎脚本・製作総指揮」 ということで国粋主義的な内容を期待していた層には、逆に受けが悪いのではないかと心配したくなるほど、抑制の効いた演出でした。石原慎太郎本人が 「決して 「特攻」 を賛美しているわけではありません」 とインタビューで述べているように、この映画では、決して特攻が賛美されていません。むしろ、特攻作戦の悲惨さや無謀さこそを真摯に描こうとしていたと思います。いくつか例を挙げれば、誰も死にたくはなかったという特攻隊員たちの本心がしっかりと映し出されていましたし、全ての隊員が 「生」 への執着心を見せるシーンが必ずありました。また、一部の特攻隊員や主役のトメさん自身に 「特攻は犬死だ」 と語らせるシーンがあるだけでなく、石原慎太郎が普段は三国人と呼んでいる朝鮮出身の特攻隊員の悲劇までもが、かなり好意的に描かれていました。一方、特攻だけでなく、戦争全体の捉え方にしても、この映画の演出は決して戦争賛美とは呼べないものでした。むしろ、戦争反対のメッセージを強く含んだ映画だったと思います。こちらも例を挙げれば、戦後のシーンでは、頑なに戦争の虚しさだけを訴えるシーンが続きますし、戦争中のシーンでも、憲兵隊による暴力のシーンや、上官が 「特攻は志願という名目の命令である」 と特攻を強要するシーンなどが躊躇なく描かれており、軍上層部の欺瞞と狡猾さがしっかりと表現されていました。あくまでも個人的には、事実を必要以上に美化することを避け、なるべく史実に忠実であろうとした製作者サイドの良心を感じる映画でした。もっとも、軍歌の斉唱シーンや 「靖国で会おう」 といったセリフが何度か出てはきますが、あれらの光景は、あの時代には当たり前の一場面であり、それだけを切り取って戦争を美化しているというのは全く次元の違う話です。似たような例で説明すれば、もし仮に現時点で、ナチ式の敬礼をすれば大問題になるはずですが、あの当時を描いた映画の中では、その敬礼自体は必要なのと全く同じです。話を戻しますが、この映画で何かが賛美されているとすれば、それは 「特攻隊員」 でしかありません。確かに戦争や特攻は決して賛美されるべきでないと私自身も思いますが、無念にも散っていった彼らの勇気と犠牲は大いに賛美されてもよいのではないでしょうか。あと、石原慎太郎自身も述べていますが、簡単に死のうとする若者たちにこそ、この映画を観てほしいと思います。特攻で死んでいった、しかも生きたくても生きられなかった多くの若者たちのことを思えば、申し訳なくて命を無駄にはできないはずだからです。自ら命を絶つことがどれだけもったいないことであるかに気づいてもらえれば、それだけでもこの映画の価値はあるのだろうと思います。最後に、靖国神社のあり方についても一言。靖国が創建された経緯を考えれば、私自身はやはり天皇家が参拝したほうが良いと考えていますが、現状のままでは難しいでしょう。日経新聞がスクープした富田元宮内庁長官のメモや、同じく朝日新聞による卜部元侍従の日記によって、昭和天皇が参拝をやめた理由が、政教分離の問題ではなく、いわゆるA級戦犯に対して不快感を持っていたためであることが裏付けられてしまったからです。現状のままでは、未来永劫、天皇家がその時代を生きた昭和天皇の意志に背いてまで参拝することはあり得ないはずです。東京裁判の法的妥当性や一方的な勝者の裁き的側面については私も懐疑的ではありますが、もはや何らかの解決策を考える時ではないでしょうか。遺族がどんどん減っていく中で、天皇家が参拝できないという状況は、多くの英霊にとって不幸だと思います。
Tully

Tully