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萌の朱雀の海のレビュー・感想・評価

萌の朱雀(1997年製作の映画)
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夏休み、おばあちゃんちに預けられよったちいちゃいころ、おとなりに、ふたつかみっつくらい年下の女の子が住んどって、ときどき一緒に遊びよってね、その日も、おばあちゃんに折り紙を教わりよった昼下がり、その子があそぼぉって誘いにきてくれた。いいよぉて返事して、飛んで出てった妹を追いかけようとして、ふと、わたしが行ったらおばあちゃんがひとりになると気づいて立ち止まった。折り紙もしたいなぁ。今日は折り紙しようかなぁ。て言ったら、おばあちゃんは、気にせんでんよかよ、いってきんちゃいと言ってほほえんだ。わかった、てわたしは走って出てって、言わんかったらよかったて思った。おばあちゃんがさみしげな顔するんを見てしまったんが、なんか、悲しかった。見たらいけんものやった、て思った。今もはっきり思い出せる。それに似とって、わたしが入り込めんところは、近ければ近いほど、たしかにある。親戚が集まって話すんを聞きよるときもそうや。なつかしい気もするけど、わたしの知らん話ばっかり、息つぐ一瞬さえないくらい喋りよる。ときどきわたしの話もしてくる。昔の話やんて言うと、ついこないだよとみんなニコニコする。不思議やと思う。昔の話ばっかりして、みんなで笑いあっとるの。今もずうっと心んなかでは続いとる、悲しかったこととか、わかりあえんかったこととか、許せんようなこと、許してほしいと思っとることも、みんな抱えたまんまで、笑いあって話しとるの。不思議やけど、それが、家族なんやと感じとってきた。そうやってひとしきり話したあとは、煙草吸っとったり、本読んどったり、台所きれいにしとったり、さっきまでのことがうそみたいに、みんなが静かになる。なんか、それぞれにそれぞれのことを、考えとるのがわかる。わたしは2階にあがってみたり、小さい商店までずうっと続いとる下り坂をお風呂場の窓から見おろしたり、おじいちゃんが大事に育てとるお花をいっこずつ見て回って、これなんてゆう花ぁて大声で聞いたりする。むかしは、この部屋で、一生懸命勉強しよるいとこのお兄ちゃんの背中をじっと見つめとったこともあったな。中学生くらいやったけどもう大人みたいにとおくみえとった。おじいちゃん無口でずっと本読んどったけえ、帰ってきとっても気づかんかった。教えてもらって、こっそり見に行って、おじいちゃん明日仕事なん?て聞くといっつも仕事よて返ってきて、ずうっとやん、て文句言うと、朝はやくに山にわんこと一緒に連れてってくれたこともあった。そんときは確か寒かったけえ、冬休みやったかもしれん。霧で前みえんかったけど運転は怖ぁなかった。いろんなことを思い出しながら、じぶんの長くなった手脚と、伸びた髪の毛と、なんも変わらん家とをみる。温室のすみっこに、ママがちっちゃいころ弾きよったピアノが置いてある。ゆびさきで弾いとったら、ママがやってきて、かしてごらんて椅子に座る。ママね、ピアノの音が楽器の中で一番好き。その言葉、もう何回も聞いたけど、なんも言わんと聞く。リクエストすると、まだ弾けるかねえと言ってママがゆっくり弾いてくれる。なにやっとるんて妹が見にくる。そのあと眠って、気づいたら夕方で、ひぐらしが鳴いとって、開け放した窓からふわあと風がはいってきて、団地の下の方を走りよる車の音がゆっくり遠くなってそのうち聴こえんようなる。どっかいっちゃった。どこいっちゃったかねぇ。だれやったかね。何話しとったんやろうね。 そろそろ帰るかと叔父さんが言って、ありがとねえておばあちゃんが見送る。わたしも一緒に手を振りながら、そいえばおじいちゃん、こないだくれたわかめ美味しかったよて言うと、そうか。うまかことはよかことよ。てわたしの頭を撫でる。ある、夏の日をさかいに、わたしと妹がおとなになるまで、わたしたちはこの家に帰ってこんかった。一度もこんかった。そのせいなんかわからんけど、叔父さんはやさしい、おじいちゃんはちっちゃい子を見るみたいにときどきわたしを見る、おばあちゃんはいつもさみしそうに見える。たぶんもう変わらんことやし、変えれんことや。わたしたちみんなのあいだには、そういうさみしげなことが静かに横たわっとる。ふだんは気づかんふりしとるの。でも、そのひとが眠っとるとき、そっと毛布かけてあげるのとおんなじてざわりで、ごめんねとか、あなたはだいじょうぶよ、て喉のおくで、ぎゅうっと思っとるの。とおいけど、とおくなんてない。いま、目の前にうかぶ、わたしのこと何もかも知っとると思うような親密なひとさえ、知らんような、知らせれんようなことが、みんなの中にある。それをあるひとは、孤独と呼ぶし、あるひとは光りとも呼ぶ。なんとなく手に持っとるものよりも、なくしてもなおわたしのなかからは消えん幽霊みたいなもののほうがずっと、とおとい。触れられんくて、泣く以外にできることないけえ、泣く。笑うことも、おんなじや。今日もひぐらしが鳴いとって、猫は眠っとって、近所の犬がわんわん言っとって、そらに向かって伸びよる木は、まぶしいほど緑に燃えとって、わたしたちを囲んでずうっと見とる、何もかもがきれいよ。ゆうやけみとると、海みたあなる。いけんことばっかりしてきたよ。正しくないことばっかり選んできたよ。でも、ぜんぶ間違っとらんかったよ。ここにおるんやもん、わたし。泣いとるみたいに笑うひとが、笑っとるみたいに泣くひとが、わたし、どうしようもなくすきなんやわて、気づく。
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