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東京流れ者のnetfilmsのレビュー・感想・評価

東京流れ者(1966年製作の映画)
4.4
 砂利道の上に敷かれた線路の上を、男は歌を口ずさみながら歩く。その姿は全てのしがらみから解き放たれ、今日の自由を謳歌するのだ。だがその歌に苛立ちを隠せない連中は彼の後を執拗に追うこととなる。清順お得意の横移動による主人公の登場シーンで幕を開ける今作は、あまりにも有名なテーマ曲を口ずさむ渡の朴訥な歌に、流れ者の風情が漂う。男はヤクザたちの嫌がらせに巻き込まれ散々殴られるものの、殴り返さないし、一切の抵抗をしない。やがて複数の輩たちにボコボコにされた若者の姿は岸壁の下に打ち捨てられていた。しかしその姿はどこか晴れやかだった。本堂哲也(渡哲也)は倉田組の組員として名を馳せたが仁侠の世界に見切りをつけ、恋仲の歌手千春(松原智恵子)と結婚し、やくざをやめる決心をしていた。倉田(北龍二)も組を畳んでしまったためクラブ等の経営が苦しく、金融業の吉井(日野道夫)からビルを担保に金を貸りていた。哲也の最期の仕事は単身吉井に会いに行き、手形延期をお願いすることだった。しかしこの行動を大塚のスパイで吉井の秘書の睦子(浜川智子)から聞いた大塚(江角英明)は、巧みな罠で吉井に担保のビルの権利書一切を渡せと脅した。権利書をとられ、吉井が殺されたことを知った哲也は、たった一人で大塚組に殴り込む。

 哲也はただ、ヤクザの汚れ仕事から足を洗うことを夢見るが、悪党どもは地獄のぬかるみへと主人公を誘う。確かにこの哲也という若者には他の清順映画同様に、既存の大人たちをたった一人でけちらすような全能感が漂うものの、徹底して丸腰なのだ。大塚の派遣した川地民夫扮する殺し屋の辰造は60年代の清順映画における川地民夫がそうだったように、ある種の狂気を孕みながら執拗に哲也を追いかける。命からがらではなくて、あくまで物事の妥協点を見つけるためにここではないどこかへと逃げて行くが、ことごとくヤクザのしがらみがついて回る様子は、北野武が『ソナチネ』で秘かに参照したに違いない。雪深き街に行こうが大塚の息のかかった辰造はどこまでも付いて来る。殺し屋としてこれから名を挙げたい男と殺し屋稼業から足を洗いたい男との対立は平行線だが、そこには孤独を引きずる者同士の親愛の情が仄かに滲む。愛した男を夢見た女の死と共に襖の向こうは赤く染まり、アメ車はスクラップとなり、炎に燃える。まるで『散弾銃の男』再びというような二谷英明の姿に胸が熱くなり、名脇役として名を馳せた玉川伊佐男の最高傑作と呼ぶべき主演級の名演は何度観ても痺れる。クラブに集う若者たちの真下でからくり屋敷が駆動する様子は『野獣の青春』の進化形と言っても過言ではないだろう。松原智恵子のどこか違和感のある野太い歌もそうだが、鈴木清順の破綻した美学は、組織や個人の歪み切った欺瞞をゆっくりとだが確かに白日の下に晒す。その瞬間、プログラム・ピクチュアには僅かにヒビが入った。
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