青山祐介

黒水仙の青山祐介のレビュー・感想・評価

黒水仙(1946年製作の映画)
4.0
〈裸の女神〉…あの山は『カンチェンジェンカ(偉大な雪の5つの宝庫)と云って、人々はそこに神が住むと考えています。誰も、あの山を征服することは出来ません。―神を慕って、気が狂うだけです。あの山には、山を恋して気が狂い、裸になって全身に白い毛を生やし、氷のような目をしている不思議な人間が棲んでいるという、奇妙な伝説があります。』
ルーマー・ゴッデン「黒水仙」1939年(蕗沢忠枝訳 月曜書房1951年)

ヒマラヤ山脈の高峰〈裸の女神〉をのぞむ荒涼とした高地に〈モプの宮殿〉があります。以前は、放縦で華麗な〈女屋敷〉と呼ばれていましたが、いまはアイヤという老女が館を守るだけで、訪れるものもいません。領主トーダ・レイ将軍は、聖ぺテロ修道院の学校開設に館を提供しますが、ブラザーたちは「我々は入る餘地がない」と、たしかな理由も告げずに突然、引き揚げてしまいます。そして物語は、奉仕活動を引き継いだ「聖マリアのしもべ会」セント・フェイス(聖なる信仰)修道院の尼僧たちが、モプ宮殿に赴任するところからはじまります。しかし、〈裸の女神〉から流れ、重くのしかかってくる冷たく乾いた清洌な空気と〈モプ宮殿〉の霊気に乱され、シスターたちの心は〈裸〉にされていきます。
ふるさとの遠い夢の世界に引き込まれ、甦る過去、恋と別れ、自然の深淵を覗き、花園に心を奪われ、山を慕い、信仰から離れ、誓願を忘れ、黒いナルキッソスの馥郁たる香りに憧れる、そして狂気の愛…シスター・クローダーが気高く美しい白い薔薇であり、若将軍が黒い美貌のナルキッソスであるのならば、〈裸の女神〉の〈嫉妬〉は、人を変えるだけでなく、すべてを狂わせることになるのでしょう。
「黒水仙」はもう少し評価されてもよい作品ではないかと思います。ストーリー・テリングを得意とするゴッデン自身が書いたような見事な脚本、テクニカラーの美しさ、セットとは思えない (いやセットだからこそできた) ゴッデンのもつ独特な世界の表現、イースデイルの心騒がす音楽が山の霧のようにひびきます。ただし、映画の若将軍にナルキッソスにまさる美貌を与えていれば ― 映画の若将軍とキンチは美貌というよりも「王子と乞食娘」の物語以上になることことはありませんでした ― 一体どのような映画になったことでしょう。
原作者ルーマー・ゴッデンは1909年にイギリス人とインド人の混血児として生まれました。イギリスの寄宿学校で教育を受けた以外は、インドでの暮らしが長く、黒水仙の訳者が言うように、彼女にはアイルランドとインドの「二つの心のふるさと」があり、それが彼女の作品のもつ独特の雰囲気を作っているように思えます。彼女の代表作は、「黒水仙」と「ジブシー・ジブシー」となるのでしょうが、その他にも「湖愁1965年」「女になる季節1961年」自伝的な「河1951年」「魅惑1952年」がそれぞれの年に映画化されています。また、アンデルセンの伝記をはじめ、児童文学者としても多くの作品を書いています。
〈モプ宮殿〉は、ルーマーの女性としての心の奥底にあったものなのでしょう。モプ宮殿をはじめて訪れたシスター・クローダーに、次のように言わせています。『こつ然と胸にうかんだあの不思議な気持 ― 彼女の胸に、(まったく違う場所なのに)突然ふるさとの思い出が、うしおのように湧き起こった』 のです。
青山祐介

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