デニロ

黒い潮のデニロのレビュー・感想・評価

黒い潮(1954年製作の映画)
3.5
山村聰が俳優ばかりでなく映画の監督をしていたのは知っていた。でも記憶にあるのはテレビのドラマ「ただいま11人」だ。家族揃って見ることのできるホームドラマ。鷹揚な父親役を演じていた。

本作は、下山事件をベースに井上靖の原作を菊島隆三が脚色。国鉄総裁の轢死は自殺かそれとも事件か、新聞記者がスクープを争い目まぐるしく動き回る。

下山事件に関しては、わたしの志向もあるのだろうが謀略、陰謀説の類の小説、ノンフィクション、映画ばかりを観ていたので、ほぼある機関に殺害されて後、線路に放り込まれた、という事実になってしまっている。

が、彼の機関がそんな面倒ですぐバレる様なことをするのかという疑問は常に頭の真ん中にあり、それを全力でもって押し殺しているだけである。とはいえ、鉄道大好きな鉄道屋がその鉄道に損害を与えるような死に方を自らするとも思えない。

ま、本作はそんなことを核にしているのではなく、表現の自由と権力の相克を描こうとしているのだと思う。根掘り葉掘り書かれると困るような記事は事実ではない、と言い張ることにより事実でなくなってしまう。権力と取引できる出版、新聞社に勤務する社員記者は転勤ぐらいで済むが、最近あまり見かけなくなったルポライター、不慮の死を遂げたりしていたのでなり手がない。こういう風に権力は秘めたる力を持つ。

朱に交わって赤くなったり、長いものに巻かれたりしてたいていの人は生きているんで、報道の人間に正義だけを求めることもできないが、事ある毎に権力をチェックする云々と言い募るのだから、第4権力ともいわれる報道機関に集う人々はせめてその証を示してほしい。

でもな、本作で描かれているように新聞社の記者なんかド勘違いしている輩が多くて辟易したものだ。最近の若い記者はどうなんだろう。産学共同教育で適正テストを基に選択しているんだろうから、権力に阿る都合の良い人間像になっていやしないだろうか。ここ20年くらい新社会人は概ね礼儀正しいけど。

山村聰監督のフィルモグラフィを見るとなかなかの社会派。演出もきめ細かい。助監督は、鈴木清太郎。助監督としての力技も相当なものだと思う。1954年製作公開。
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