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ゴールデンスランバーのodyssのレビュー・感想・評価

ゴールデンスランバー(2009年製作の映画)
1.5
【多分原作起因による失敗作】

結論から言えば、失敗作でしょう。
ただし、その責任は多分半分以上は原作にあると推測します。推測というのは、私は原作を読んでいないからですが、他の伊坂作品を読んで、リアリティが欠如している――そこがファンにとってはいいんでしょうけど――と思いましたので、多分この映画の原作も同じであろう、とするなら実写で映画化するのにはかなり苦労するだろう、と映画製作者側に同情してしまいました。

リアリティの欠如は、特にこの映画の警察の描写に表れています。私が読んだ伊坂作品ってのは『オーデュボンの祈り』ですが、あそこにも変なエリート警察官が出てきていた。この映画で描かれる警察も基本的に同じですので、多分、伊坂作品の警察の捉え方自体に根本的な欠陥があって、それがこの映画にも出ているのだろうと思います。

リアリティの欠如を具体的に言うなら、まず最初のあたりで、いきなり堺雅人に発砲していますよね。アメリカならいざ知らず、日本の警察が、先に攻撃をしかけてきたわけでもない容疑者――この段階では容疑者ですらない――にあんな風に発砲するとはとても思われない。
第二に、仙台市を封鎖してあらゆる交通機関を止めてしまう、という手法が現実にあり得るとは思えない。検問の強化なら分かるけど、新幹線まで止めてしまうってのは、どう見てもリアリティの外。あれじゃ仙台の市民生活その他に支障をきたすことは明らか。

いや、リアリティなんて別に要らないんだ、作品そのものが面白くて、内部の論理がそれなりに一貫していればいいんだ、という見方もあるかも知れません。一種のセカイ系作品として捉える向きもあるようです。でも、それにしては作中の構図があまりに単純過ぎはしませんかね。

単純というのは、要するに主人公を追いつめているのは警察、それも中央の警視庁から派遣されてきたエリート警視正であって、それに対して終盤で出てくる、いい年してまだ巡査長(つまり典型的な非エリート)である警官は結局主人公に協力してしまう。ほか、柄本明とか濱田岳、つまりアウトローたちも主人公側。学生時代のサークル仲間もそうだし、アルバイト先の花火職人だとか、宅配業の仲間もそう。

つまりここで主人公を追いつめていくのは、中央の警察、そしてもしかしたら中央の政治家、それに対して地元で地味に生きてる人たちは基本的に主人公の味方、という単純な構図が成り立つのです。

そういう、一種の心情倫理にのっとってこの映画は進行します。でも主人公を罠にかけた者の正体やそのカラクリなどは、結局分からずじまい。実にいい加減です。

そういういい加減な作品を評価するわけには到底いきません。私は以前も伊坂原作の映画『アヒルと鴨のコインロッカー』がいい加減な現実把握に基づいていることを指摘しましたが、現実描写からしても、セカイ系として見た場合であってもあまりに単純な現実把握が根底にあることからも、そして事件の真相が結局は放置されている無責任さからしても、点数はせいぜいこの程度でしょう。
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