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探偵はBARにいるのodyssのレビュー・感想・評価

探偵はBARにいる(2011年製作の映画)
2.2
【探偵はなぜBARにいるのか?】

面白そうなタイトルです。だけど、よく考えてみると、おかしなタイトルでもある。なぜ探偵なのにBARにいるんでしょうか?

この場合、探偵がたまたまBARに飲みにいったって話じゃなく、いつもBARにいて仕事をそこで電話を通じて受ける、という意味ですよね。つまり、この探偵は依頼人には会わない主義である、ということになる。それでどうして探偵が務まるんでしょう?

言うまでもなく、探偵の仕事は依頼人と会うことから始まります。単に電話で話を聞けばそれで済むわけではない。依頼人の風貌や服装を自分の目で吟味して、依頼の背後にひそむ意味自体を考えることがすでに探偵の仕事だからです。有名な例ではシャーロック・ホームズの『ボヘミアの醜聞』なんかそうですよね。

いや、そんな糞リアリズムにこだわらなくてもいいじゃないか、これは設定としてそうなっているのであり、あくまでBARで電話で話を聞くというのがこの探偵の主義で、その束縛がかえって面白いのだ、という意見もあるかもしれない。だけど、それならその束縛を最後まで守らないと筋が通らない。最後ではケータイを持っちゃってるんですから、自分の主義に忠実ではないですね。

つまり、この映画の探偵、糞リアリズムで見ると基本的なところができていないし、フィクション的にも筋が通ってない。探偵失格なんですよ。

加えて頭も悪い。例えば最後の土壇場のところなんかそう。結婚披露宴で一番大事なのは花嫁です。花嫁のお化粧や服飾などには最低でも1時間、場合によっては2時間くらいはかかる。つまり披露宴開始の最低1時間前から花嫁は会場に拘束される。小樽・札幌間往復に要する時間をも考えるなら、花嫁が披露宴の2時間前に小樽に来るなんてことはあり得ない。これ、推理というより常識でしょう。

それ以外にも、探偵はあくまで冷静でなければいけないのに、感情に走る場面が多い。田口夫妻が殺されたとき、立腹のあまり現場である田口夫妻宅で備品なんかを壊しますよね。被害者である夫婦が暮らしていた家の備品を壊しまくる、って、犠牲者への冒涜にしか私には見えませんけどね。最後で小樽から電車で札幌に戻るときにも、電車が遅いと立腹してるけど、遅いのは自分の頭の回転のほうなんですよ。

「清輪」をなぜ「せいわ」と読むんでしょう? 重箱読みじゃないですか。ふつう、「せいりん」だと考えるんじゃないかな? この探偵、日本語もよくできないらしい。

運転手役の松田龍平も、北大農学部助手だってことになってるけど、だったら准公務員でしょう。北大は国立大学法人なんだから。准公務員がバイトに運転手なんかやったら、法律違反でクビだと思うなあ。北大当局は何をやってるんだ(笑)?

あと、竹下景子が老けたのにはびっくり。しかも美しい老け方ではなく、なんか崩れていて、見るに忍びない。私は若い頃の彼女のファンでもなかったけど、彼女のファンからすると耐えられないのでは。若い頃人気があった女優を老いてから使うってのも、考え物だな、なんて思っちゃいました。

それと、個人的な趣味で申し訳ないんですが、小雪は私の目にはそもそも美人の範疇に入らない。少なくとも見る人をことごとく惹きつけるような絶世の美人からは程遠い。『三丁目の夕日』ならいざ知らず、こういう役柄で女優が他にいなかったんですかね。
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