zhenli13

愛の奇跡/ア・チャイルド・イズ・ウェイティングのzhenli13のレビュー・感想・評価

4.2
2023.9.28 Stranger「特集 ジョン・カサヴェテス」にて
二十数年前に観てるが記憶ほぼ無く号泣。不思議なことに、本作は『こわれゆく女』の答えになってないか?という気がした。
『こわれゆく女』の方が後の作品なのに、本作の方がその答えであるように思えた。『こわれゆく女』での、医療や他者の介入を拒み反知性的な粗暴さをもって妻ジーナ・ローランズの症状をどんどん悪化させる夫ピーター・フォークの「愛ゆえの」行動。『こわれゆく女』の方が、どこにも答えはない。
もしかして『ア・チャイルド・イズ・ウェイティング』をカサヴェテス自身納得してなかったのでは?StrangerのZINEを買ったのでその辺のこと書いてないかチェックしてみたら、案の定プロデューサーのスタンリー・クレイマーと決裂したらしい。知的障害のある子どもたちに対する主張の食い違いという、映画の根幹を成す決裂であったことがわかる。クレイマーは「彼らは施設にいるべきだ」、カサヴェテスは「彼らはそのままでも大人たちよりずっと健全だ」とし、その主張の違いが編集でクレイマーの介入となったよう。

当時の障害児教育の方針はまだセパレーションだったはず。現在世界的には(昨年WHOが日本の障害児の分離教育中止要請をしたが「理念としては」日本でも)障害の有無に関わらず同じ場で、障害のある人は合理的配慮を受けながら教育を受け生活するインクルージョンが主流だが、1950年代末では障害児者を一ヶ所に集めて終生生活させるコロニーなどもアメリカには多くあっただろう。
そういった時代の趨勢のなかで、本作はパート・ランカスター演ずる施設の校長の主張はプロデューサーのそれを代弁するものかもしれない。とはいえランカスターの台詞から伺える障害児への理解は間違っていない。「彼の尊厳が母親の愛情に殺されるのを黙って見てられない」という台詞も、ある意味間違ってはいないし、彼が子どもに傾ける熱量が映画から伝わってくるようになっている。ランカスターとともに施設で働き自らも障害のある成人した子の親であるポール・スチュアートによる、相模原の事件にもあった「役に立つか立たないか」「生産性」という言葉で測ることの馬鹿馬鹿しさに熨斗つけて返すかのような台詞も、胸を打つ。
カサヴェテスの考えるところは、愛のあるところで生活するのが最も大切なことだというもののようで、それは『こわれゆく女』で達成されたのかもしれない。
おそらく両極端である。
本作を観て思った。インクルージョンをいまのところ理想のかたちとして考えるのならば、それを実現させるのに必要なのはやはり理解なんだなと。家族だけでなく近所や学校や職場など関わる人の理解があれば、施設でなくても暮らせる。尤も、彼らが生きるうえで「できること」はやれた方がいいだろう。そういう理解は本作でも語られるとおり、知識だけで身につくものではない。愛があっても一方的な偏った考えであると逆にややこしい。ピーター・フォークのような愛があれば理解につながるものというものでもないことは、本作におけるジュディ・ガーランドの行動からも受けとれる。理解を深めるための方策も必要になる場合がある。そのための専門家の見識も必要だが、それは支援者側だけがやることでもなく、まだ一般的ではないが当事者研究というものもある。
本作でランカスター自身も迷いながら、障害児教育に関して素人だったガーランドを少しずつ成長させようとする。ジュディ・ガーランドにとって本作は晩年の作品でその見た目もだいぶ年齢を感じさせるものの、ルーベン少年を依存させるような接し方をやめて大勢のための指導者としての態度をその場で即座に選びとり、ルーベンの態度に臆さないような顔をして歌を歌いピアノを弾きながら眼にほんの少し涙を浮かばせるという演技が素晴らしかった。

一方で、障害のある子どもたちの表情や役者との「演技」は大変活き活きとしている。またランカスターがガーランドに見学させる、成人後の障害のある人たちが収容されている精神科病棟(おそらく)での彼らの様子なども現実に想像されるものとして生々しい。ラストの感謝祭の劇発表シーンでの、ランカスターのアップの隣に、6人の子どもをもつ黒人女性(ランカスターをして「誰よりも子どもを理解している」と言わしめる)が目をキラキラさせて劇を見つめる姿をインサートさせて、ルーベン少年や彼のクラスメイトたちが互いをカバーしたり(お節介もやいたり)観に来てる親に目配せしたりしながら演じる姿をしっかり捉えているのも、カサヴェテスの手腕に他ならない。
元はテレビドラマだったそうで脚本もカサヴェテスではなく、本作がハリウッドの雇われ仕事から離れる決定的な作品となったらしい。しかし『グロリア』といい本作といい(『ビッグ・トラブル』も!)不本意でも商業作品でもちゃんと好い作品撮っちゃうところがさすがというか。
カサヴェテスには是非彼らのドキュメンタリー映画を撮ってほしかった。

そういうプロデューサーと監督のねじれの構造もあったものの、結果的に、「これでよいのか」という問いを常に持ち続ける必要性を示唆するような作品になったのではと思うし、肝に銘じたい。

「彼の尊厳が母親の愛情に殺されるのを黙って見てられない」「彼らは『歩く植物人間』なんかじゃない」「私たちもその程度では?」とか、すごくいい台詞がたくさんあったんだけど台詞を記憶するのがとても苦手なので即DVDポチった。


2000. シネ・アミューズにて
今はなき渋谷シネアミューズで企画されたカサヴェテスの回顧上映、このとき初めて『ハズバンズ』『ミニー&モスコウィッツ』も観た。すごい良い企画だった。『愛の奇跡』もこのとき初めて観た。原題のA Child is Waitingの直訳でよかったのに凡百の邦題をつけたのは、軽度知的障害のある少年の物語を演出するためなのだろう。
この頃はアメリカの障害児教育もまだコロニー入所が積極的に行われていたのだろうか。ハリウッド資本の作品なのでキャストが豪華だが正直あまり覚えていない。
zhenli13

zhenli13