おばけシューター

火垂るの墓のおばけシューターのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
3.6

改めて、がっつり鑑賞したので感想。
何周かして、併せて原作も読みました。
記憶と実際は乖離があり、そういえば大人になってからちゃんと観てなかったことに気づいた。

で、本編。
「大人になってみると清太がわがままな子どもで西宮のおばさんは悪くないことに気付く。」というよく目にする感想、改めて見ると決してそんなことは無いと思った。むしろ逆。(そして言いづらい事だが、節子が憎く感じて仕方なかった。)

その理由を箇条書きしてみる。
・そもそも西宮の家とは家が焼けたら面倒を見ると言う約束を家の間でしていて、親切でと言うのは違う
・自分たちの食べる分を心配していたというが清太たちの分も配給があり保管していた食料も提供している。そして清太は食事に関して文句を言うことは無かった(しかも原作では勝手に梅干しをお裾分けまでしてる!)。ちなみにおばさんは未亡人で家族は娘だけ。お兄さんも居候
・清太が学校に行かなかったのは学校が焼けたからだし、おばさんがあんな態度では節子から離れたがらなかったのも無理はなし
・おばさんが節子にわざわざ母親が死んでいることを告げたのは明らかに八つ当たり
・遺産を使わなかったのは終戦前後はお金で買える食料は闇市にしかなかった。農家も物々交換
・清太と節子が死んだのは冒頭駅で他の戦争孤児(原作だと30人も!)が死んでる事からも特別なことではないとわかる。絶対大人が無理にでも面倒を見るしかなかった

長くなってしまいました。
やはり清太に批判が集まるのはやるせなく、子どもは大人が救ってあげないといけないと思う次第。
この作品のすごいとこは、それらの責任を戦争に転嫁しにくい構造になってるとこで、自然と作中の誰かのせいにしたくなってしまいます。考えると、普段は問題が見えてないだけで、恐らく震災なんかでも同じようなことが起きるんじゃないだろか。
作中には、現代の神戸駅が映ります。二人は未だ現世に囚われているという悲しい結末ですが、最後に横穴で暮らした数日間は決して不幸では無かったとも思います。殆ど全てを奪われた2人が、最後の幾ばくかを好きに過ごせたという事を、せめてもの救いにしたいです