みーのカー

こうのとり、たちずさんでのみーのカーのレビュー・感想・評価

こうのとり、たちずさんで(1991年製作の映画)
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一貫して俯瞰している、登場人物の誰かに肩入れするような映し方はしない。いいとか悪いとかは言わない。しかしTVカメラを通すことで、クローズアップされる瞬間がある。人の感情に触れて、あなたはどう思うか、と問われているような気持ちになった

アンゲロプロスの、映画の制作者としての後ろめたさを感じた。

元政治家は「私たちはまた国境を超えた。故郷に着くまでにあといくつの国を越えなければならないのか?」と言う。もといた場所は故郷ではないし、今ひとまず与えられた家も故郷ではない。故郷とは。

国境線を新たに引くということがいかに為政者の自分勝手であるかを実感する

「時には、雨音の背後に音楽を聞くために、沈黙が必要なのです」

アンゲロプロスは「うぬぼれた政治理論はすべて役に立たないということ。人生の真の音楽を偽り隠しているから。」と説明する。

「故郷を追い立てられた人々」=ギリシャ的
というのは言われて初めて気づいた
エドナ・ファイナルーの音楽が素晴らしい
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