三四郎

坊やが盗まれたの三四郎のレビュー・感想・評価

坊やが盗まれた(1934年製作の映画)
4.5
ドロテア・ヴィークが観たい!ただそれだけの理由で鑑賞!笑
彼女の美しさはまさに国宝級です。

気になったのは息子との大胆な入浴シーン。顔じゃ笑っているが、アメリカ人が望むもの、求めるものを嘲笑して演じているのではないかと思ってしまった。
というのも、彼女がアメリカに到着した際の最初の記者会見で、マスコミは当然の如く彼女にスカートを上げ脚を見せるように要求したが、それに対して憤然と拒否したことで、アメリカ人に衝撃を与えたからだ。

→当時の記者会見のやり取りに関する記事引用(翻訳)
ドロテア「私はハリウッドで演技をする為にここに来ました。私の脚の写真を撮ってはいけません」
カメラマン「それは下品なことではありませんよ、レディ。ただの昔ながらのアメリカの習慣です」
ドロテア「嫌です」
別のカメラマン「彼女の脚からマレーネ・ディートリッヒに何が起こったのか思い返してみてください。彼女は脚で有名になった」
ドロテア「私の顔を撮っていただけませんか?私の顔に何か問題がありますか?」
カメラマン「いや、そうじゃない。素晴らしい顔です。しかし、私達はあなたの脚のショットを撮れる機会を得ました。私達はいつも女優たちの脚のショットを撮影しているんですよ」
ドロテア「脚と演技になんの関係がありますか?ハリウッドは私にオファーを出したとき、私の脚については言及しませんでした」

後日、再度この件をアメリカ人記者から尋ねられた際、彼女は「ダンサーであれば脚を見せますが、私はダンサーではありません。私は女優です。演技と関係がないのであれば、脚は見せたくありません」と答えている。

プロダクション・コード(ヘイズコード)導入の年に公開されているが、引っ掛からなかったのは、相手役が赤ん坊だからか?!
勿論エロチックさは皆無でどこまでも清潔な母性愛のシーンではあるが笑

この作品のドロテアは、非常に大袈裟な演技で息子への溺愛ぶりを表現し、良くも悪くもアメリカナイズされている。
当時、『ニューヨーク・タイムズ』において彼女の演技は称賛され、『タイム誌』でも「涙を誘う話題作」と書かれた。日本においても娯楽映画として好評だった。

晩年にドイツメディアのインタビューを受けた際、彼女はこの映画に少し触れているが、『制服の処女』の影響から、彼女に男性パートナーを配役しないという奇妙なパラマウントの方針の為、リンドバーグの愛児誘拐事件をベースにしているこの映画も彼女には夫がおらず子供だけがいるという設定だったと語っていた。

私は、ラストシーン近く、クライマックスで坊やがテクテク歩いて行き「ママ!」と呼ぶところで感動した。映画冒頭で、ドロテアが坊やに「ママ」と言うように、呼んでくれるように練習するシーンがあり、待ち望んでいた「言葉」だからなおさらだ。
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