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薔薇の葬列のドントのレビュー・感想・評価

薔薇の葬列(1969年製作の映画)
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 1969年。おもしろかったですね。ゲイバーの売れっ子・エディはママの愛人であるオーナーと密かに付き合っている。ある日街中で見かけた奇ッ怪な葬列と、オッサンにナンパされて逃げ込んだ奇妙なパフォーマンス的画廊のせいで、封印した記憶が甦っていく。
 主人公の源氏名(っつうんですか?)がエディ、お話はああなってこうなってそうなるわけで、まんま某ギリシャ神話がベースであるけれども、その辺が前面に出されている印象はない。むしろ「裏焼きであっても通用する強固な物語構造」として採用されている気がする。「性別が置換されても同じやろ?」という挑発も含めて。
 そらへんよりはむしろ、当時の街の風景と道をトットコ歩くゲイ・ボーイ(作中呼称)の生き様とかありようを焼き付けんとした映画であるように思う。まぁ観てくださいよ、ピーターのこの爆イケぶりを。カメラの前で答えるゲイ・ボーイたちの受け答えの様を。
 美輪明宏という先輩はいたけど、ムービーカメラの前に立つ、立てるようになりつつあるという時代の変化の波が、70年安保とか大麻とかサイケとか前衛とかそういうものと渾然一体となって押し寄せてくる、そういった作品なのではなかろうか。
 一方でこの「前衛」感、謎の映像や編集やなんかはまだ見逃せるし、意味合いが変わる「反復」とかは面白くて飽きずに観れるものの、劇映画とメイキングとインタビューと現実の人物を混ぜこぜにして出すあたりの演出・構成はうまくいってるようには見えない。淀川長治が出る所なんかはだいぶ興醒めしてしまった。スレた現代から眺めると「おふざけ」にしか見えないという悲しみがある。
 虚実が曖昧に……と言うなら、カットがかかって撮影現場かと思ったらシームレスに劇映画に戻るとか、劇映画から突然インタビューに流れてまた戻るとか、そういう手法の方が虚実の壁を溶かせたのではなかろうか、と素人ながら愚考したりする。ちょっとノリきれなかった。
 とまれ、69年というビートルズがまだ活動していた昔に、ぎこちないとは言え日本でこういう見世物的ではない映画が作られていたというのはなんというか、ちょっと嬉しいですね。ちゃんとメイクする場面もあるし。しかしまぁ本作、ピーターの存在感というか存在そのものなくしては成立しなかったであろう。
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