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氾濫のkojikojiのレビュー・感想・評価

氾濫(1959年製作の映画)
3.4
1959年 原作は伊藤正。「最高殊勲夫人」のコンビ・白坂依志夫と増村保造がそれぞれ脚色・監督を担当している。
 
 クレジットの主役は明らかに「若尾文子」だが、映画の中身はどう見ても佐分利信、川崎敬三が主役。若尾文子はただの脇役だ。
ジャケの印象と映画の内容は全く違う。そう言う意味ではジャケは若尾文子ファンを騙すのに成功していると言える。

 真田佐平(佐分利信)は接着剤サンダイトを発明し、一躍、平技師から三立化学の重役になった。
 真田の妻文子(沢村貞子)は急に生活が変ると派手ずきになった。娘のたか子(若尾文子)も同じように浮かれたように毎日を過している。

 ある日、真田の元に戦争中暮らしていた女が真田の子だという子供を連れて現れる。しかし彼女の目的は真田の金だった。

 この物語には誰一人としてまともな人間が出てこない。金と欲にまみれた人間達の集まり。愛人も、友人も、故郷の友人も会社の上司も誰も彼も金と欲の塊なのだ。一人、科学者の真田だけが科学者としての良心らしきものを持っているに過ぎない。そんな彼も生活では家族に関心を示さず、昔の女に騙されるだけの男だ。

 伊藤正は何が書きたかったのか。人間の世の中とはこんなもんだと言いたいのか。それはあまりに寂しく一面に偏り過ぎていないか。

 この映画の中で特に際立っているのが、胸糞な男を演じる川崎敬三。こんな軽薄な男を演じさせたら右に出るものはいない。それがこの映画の二枚看板の主役。彼の行動には無茶苦茶イラつく。こんな欲だけの男、しかも生活が乱れまくっている男に科学の実験やデータの分析ができるはずもなく、論文なんか書けそうにもない。彼の個性の描き方をもう少し狡賢く科学者らしく描いていたら、この映画はもっと厚みが出ていた気がする。

 若尾文子ファンには何の成果もない。

2022.11.23視聴-517
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