りょう

ありふれた教室のりょうのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
4.4
 この作品はサスペンス・スリラーとされていますが、なかなか秀逸な邦題のとおり、どこにでもありそうな個人のエゴと不寛容な会社が招く“あるコミュニティの一場面”を切りとった物語という印象でした。ただ、その作風は、不条理なスリラーを彷彿とさせる冷徹なものです。
 舞台はほぼ学校(おそらく日本でいうところの小中一貫)に限定され、主人公の教師であるカーラの家庭なども一切登場しません。彼女に配偶者や子どもがいるのかさえもわかりません。ほかの登場人物も物語の展開に必要なこと以外の情報が排除されています。
 この徹底した人物描写が学校で発生した“できごと”とその顛末の解像度を高めていますが、その途中で事態が好転する兆しもなく、99分を経過するエンディングまで緊張状態が維持されています。物語の展開はテンポよく、無駄な描写や曖昧で伏線を狙うような表現もありません。
 真相が不明瞭で中途半端と思える結末ですが、不思議とモヤモヤした印象にならない理由は、緻密な脚本と演出で必要なことがすべて表現され、真相を想像するには十分な情報が得られているからです。カーラの“一人称”の映像ばかりなので、彼女の戸惑いを追体験する構成も効果的でした。
 こういう事態の悪循環にどう対処すべきか、おそらく完璧にできる教師なんていないと思いますが、保護者の多元的で過剰な要求、教師間の意見の対立、生徒の権利意識とその容赦ない表明…など、カーラを襲う全方位的な敵意には、やっぱりスリラーのような恐怖があります。それでもカーラは、最後まであきらめることなく、ある生徒を守るためにあらゆることと対峙しているので、そこにとても共感しました。
 ドイツは欧州でも特異な移民政策をとっているので、教室の風景も多民族で彩られています。カーラはドイツ人ですが、彼女の両親はポーランド移民という属性が説明されます。大雑把に言えば“多様性”が当たりまえになっていることがわかります。ただでさえ閉鎖的になりやすい学校という組織で、日本のように伝統的な価値観を重視する風潮が根強い教育現場では、この作品が提示する希望や救済は期待できないと痛感しました。
 映像の雰囲気や不穏な劇伴も含めて、およそハッピーになれる作品ではありませんが、またまた欧州の秀逸な新作に出会えてうれしい気分です。
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