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アデュー・フィリピーヌ 2Kレストアのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.3
 おそらく史上最強のヌーヴェルヴァーグにして、史上最高のヴァカンス映画は間違いなく今作だ。昔、映画は脚本だと誰かが言った。それもあながち間違いではないが、映画はまずもって編集が肝心だ。その意味ではジャン=リュック・ゴダールの映画以上にジャック・ロジエの映画は編集で形作られている。1960年、兵役を数ヶ月後に控えたミッシェル(ジャン=クロード・エミニ)は、勤め先のテレビ局で中の様子を覗き見るリリアーヌ(イヴリーヌ・セリ)とジュリエット(ステファニア・サバティーニ)という2人の女の子と知り合う。カメラマンではなく、単なるケーブル引きの見習いの癖に、何の権力があってかリリアーヌとジュリエットを局に招き入れるのだ。ミッシェルはどちらか一方に好意を寄せるのではなく、どちらにも好きという感情を抱いていて、どちらかが好意を寄せてきたらその子にアタックしようと考えている。一方リリアーヌとジュリエットの2人もまた出会った最初からミッシェルに好意を寄せていて、どちらが先にミッシェルの彼女になるかなどと冗談とも本気とも取れないジョークにも似た賭けを交わすのだ。

 ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』やフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』では女1人男2人だった関係性を今作では女2人男1人に置き換えているが、どこまでもPOPな軽快さでは今作に軍配が上がる。もちろん『はなればなれに』も『突然炎のごとく』も今観ても超が付くほどの傑作なのだが、ヴァカンス=空白を感じさせるジャック・ロジエの自由奔放な演出スタイルは最初から神懸っていた。冒頭にアルジェリア戦争の注釈を入れることでロジエは当時の若者の厭世観を表現しようとしたようだが、当時のフランスでは世相に踏み込んだ表現はタブーで、ご法度だったのだ。そこでロジエは物語の構造そのものを組み替え、男1人が兵役に向かい、女2人がフランスに取り残されるというクライマックスに書き換えた。文字通りニコイチな2人の女性たちはミッシェルの本気の所有で争うことはなく、絶妙なバランスと応答とで「シェア」しようとする。然しながら所有と共有との間で逡巡する今作は正に制作過程から呪われた映画として一向に出来上がらない。半年かけて完成まで進めた死に物狂いの撮影はようやくクランク・アップを迎えるものの、即興に次ぐ即興演出で成立した物語は俳優たちがアフレコをする時点で頓挫しかかった。そこから苦肉の策の半年に及ぶ読唇術があり、ようやく映画が完成した頃には肝心要のアルジェリア戦争は終わっていた。ことごとく時期を踏み外す天才は最初から不遇の天才であった。然しながら62年のカイエ・ドゥ・シネマ誌で今作を表紙にしたゴダールの判断だけはのちの世界線を半世紀先取りしていた。
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