デッカード

ナポレオンのデッカードのレビュー・感想・評価

ナポレオン(2023年製作の映画)
3.5
リドリー・スコット監督が描くナポレオンの生涯。

映画は、フランス革命でのマリー・アントワネットのギロチンによる処刑というショッキングなシーンから始まる。
革命に熱狂した市民から罵声を浴び跪いてギロチンにかけられるマリー・アントワネットの姿は、ハプスブルク家に出自を持ち栄華を誇った女性とは思えない惨めな最期。
フランス革命はヨーロッパ中の王室を震撼させる大事件だったのだが、それを冷ややかに見つめていたのがナポレオン・ボナパルトだった。

ナポレオンがフランス皇帝まで登り詰めたことは知っていたが、どうやってそこまで行ったのか詳細は知らなかった。

理想を掲げながら結局は恐怖政治しかできない革命家の典型とも言えるロペスピエールの失脚から、コルシカ島生まれのナポレオンが類まれな戦術家として頭角を現していく過程はコンパクトながらわかりやすい。

個人的には『ジョーカー』を境にブレイクした感のあるホアキン・フェニックスが、ここでもナポレオンを熱くしかし冷徹な人物として生々しく演じている。
ナポレオンが小男だったという史実に基づき、身長173センチのホアキンをそれらしく撮影しているのがおもしろい。

本作のナポレオンは、特に悪妻として有名なジョゼフィーヌとの関係を中心に描かれているのは新鮮。
何を読んでも全くいいところが見当たらない悪妻ジョゼフィーヌなのだが、ナポレオンが一方通行だったにも関わらず熱愛だったのは史実らしい。
この映画では奔放なジョゼフィーヌが側から見ると完全に悪妻なのだが、ナポレオンにとっては妻なのは当然なのだが、母のようだったり友のようだったりと、とにかく心を許せて自分を赦してくれる唯一の人間として描かれているのが興味深い。
ジョゼフィーヌも奔放な性格はともかくとしても、心の奥底でナポレオンを愛し続けている人物として描かれている。
史実を辿ると異論がありそうな設定なのだが、今や大御所となったリドリー・スコット監督が映画界で心を許すことができる人が実は少ない自分を投影したのでは?と余計な想像をしてみたり…
2時間40分という長尺の中のかなりの長さが夫婦の関係性で占められていることを、映画として満足と見るかはどうかは様々な意見があるかもしれない。

しかし残りを占める戦闘シーンの迫力は圧倒的で、近年稀に見るスケールの大きさに劇場で観るべきだったか、と後悔した。
特にナポレオンの戦術家としての才がこれでもかと叩き込まれる「アウステルリッツの戦い」の描写はリアルで容赦がない。
劣勢ながら冷徹に戦術を選択しオーストリア・ロシア同盟軍を追い詰めていくナポレオンの冷たい瞳を、ホアキン・フェニックスが見事に演じていて強烈な印象を残す。
戦闘の趨勢も描写がわかりやすく、簡単に入り込めた。

婚姻による同盟や騙し合いという「真実」や「信頼」のかけらもない、欧州列強間の長年の歴史では当たり前の駆け引きを、王室や名家とは無縁なコルシカ生まれのナポレオンが最終的には軍事力という有無を言わさぬ力で押さえつけていったのは仕方のないことだったのかもしれない。

長尺と言いながらナポレオンの生涯を網羅するのは当然不可能でかなり割愛された部分もあるのは仕方がないのだが、国民から絶大な人気を得て皇帝まで登り詰める国民側の描写や、フランス軍が欧州列強の中で圧倒的な戦力で脅威を与えていた威圧感が今ひとつ描写から感じ取れなかったのは少し残念だったかも。
特にナポレオン失脚のきっかけになったロシア遠征だが、ロシア、とりわけアレクサンドル1世のしたたかさだけが強調されナポレオンが一方的に翻弄されているように見えた。
しかし映画の『戦争と平和』など観る限りでは、当時のナポレオン軍の強さがただ事ではなかったことが描かれていて、ナポレオンの侵攻が始まったときのロシア国内がこの世の終わりのような有り様で、ナポレオンが冬将軍により撤退せざるを得なくなった奇跡に対する安堵感がいかに強かったかもロシア側の目線で描かれている。
余談だが、そんなロシアがフランス革命から100年あまり後に、こちらもやはり市民による革命でロマノフ王朝が倒され皇帝一家が処刑、その後革命の中心人物たちは消えていきスターリンという化け物が支配するというフランスと相似的な歴史をたどったのは皮肉と言えるかもしれない。

映画『ナポレオン』に戻るが、ワーテルローの戦いなどはキューブリックの『バリー・リンドン』を彷彿とさせるが、リドリー・スコットはそれとは違う風味のリアリズムにこだわった感じを受けた。
リドリー・スコット監督の史劇作品は様式美などかなりリアルにこだわっていて、近年『エイリアン』シリーズの新作なども手掛けてはいるが、初期作品の『エイリアン』や『ブレード・ランナー』『ブラック・レイン』などとは明らかに作風が変わっているように思える。
もともとこういった史劇が撮りたかったところに監督として潤沢に製作費が付くようになったのか、老齢の域に入り歴史劇を撮りたくなったのかは定かではないが、監督の撮る映画のリアリズムにはけっこうな中毒性があると思っていて好き。
これからも、お元気でキャリアを積んで楽しませていただきたいと願っています。
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