たおぱお

月のたおぱおのレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
4.0
凄い作品だった。
登場人物全員のなかに、自分をみた。
まさに、人間の葛藤だった。

でも、これをふまえてもなお、言いたい。

全部、命なんだと。

幸せだとか不幸だとか、
正しいとか間違っているとか、
心があるとかないとか、
そんなこととは関係なく始まり、終わるのが命なんだと。

望んでも得られない命もあり、
望まなくても始まる命もあり、
自分の考えでコントロールできる範囲の命もあるかもしれない。

でも、生産性だとか、生き甲斐だとか、そんな命の後から生まれる概念によって命の意味や価値を図ったところで何になる?
自分の幸せのために他の命を脅かすことを正当化するのなら、自分よりも強いものの前に自分の命を差し出すことには納得がいくのか?

色んなことが頭をよぎる。

しかしながら、
私たちがいくら足掻いたところで命は時が来たら勝手に始まり、そしてまた勝手に終わるものなのではないのか。

それもまた現実じゃないか?と問いたい。

矛盾がなんだ。嘘がなんだ。
諦めるな。そこを乗り越えろ。
自分のエゴを貫いて、他人のエゴを否定する権利がどこにあるのか。

そう思った。

偽善といわれようが、嘘つきと罵られようが気にしない。

何のために法律や税金があるのか。

全ての命を平等に扱う為ではないのか?
私はいつでも誰かのためになるならという思いで納税するし、いざ自分に何かがあれば躊躇わずに税金から助けを受けたいと願っている。

それでいいし、それがいいと思ってる。

私も現在知的障害者の現場で働いている。
現場を知らないから綺麗事を吐いているわけではない。ある程度見てきた上でなお、綺麗事を吐きたいと思う。
自分には何も出来ないと愕然とする無力感も何度も味わっているし、強いストレスがかかる状況と日々戦ってもいる。
しかしながら、要支援者を支えることが、自分の支えになっているという感覚があり、結局この仕事を行うのは自分のためなのであるという自覚がある。
この仕事が好きだし、誇りに思っている。

要支援者も支援者もお互いに支えあって生きている、共生していると思っている。

もし自分もここまで劣悪な施設で働くことになってしまったら、同じように精神が壊れていくのか?と犯人の心情に寄り添いながら視聴しようと試みたが、やっぱりどうにも私には肯定しがたい、到達しがたい境地であった。

しかしながら、そう考えてしまうに至るだけの現実の残酷さは理解し受け入れたいと思った。ほんの数十年前の日本の法律では、障害者は子供を作ることを禁じられていた。人間が、本能的に自分に不都合なものは排除したいと思うことは理解できる。

でも、一方で、目の前にいる他者と心を通わせたいと願う気持ちや、心通わずとも慈しんで大事にしたいと思う気持ちはエゴだろうが、偽善だろうが愛だと信じているし、自己を犠牲にしても目の前の他者を大切にしたいと思う理性が芽生えるのもまた、人間なのではないだろうか?

排除する方が簡単だと感じるか、
我慢をする方が簡単だと感じる違いなのだろうか…。

少なくとも、私は、誰かを殺める覚悟を持つよりは、経営主体や行政と戦い、隠蔽体質からこの状況を改善したいと願う覚悟を大事にしたい。

このような事件が実際に起こってしまったということが本当に苦しい…。

福祉職員として、これからもこの問題については問い続けていきたいと思い、関連図書を読み漁っているが、映画を見た直後の私の感想は上記の通りである。
たおぱお

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