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瞳をとじてのnetfilmsのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.2
 長編では31年ぶりの新作ということでまさかあれから31年の月日が流れたことにひとまず愕然とする。ビクトル・エリセの名前は既に神話であり、かつて映画が持っていた神話めいた何かの象徴だろう。彼がどこかでくたばったとしても突然行方不明になったとしても、傑作『ミツバチのささやき』は永遠に我々観客の心に残り続ける。そんな彼の31年ぶりの新作と聞き、観て良いのかあえて衰えた姿を晒すかつての大作家の姿は見まいと心に決めるかどちらか1つを選択せねばならないことが正に2024年初頭の凄まじい事件である。その中でビクトル・エリセの新作を観ないという選択肢は私の中になかった。ヴェンダースやカウリスマキらヨーロッパの巨匠の老いてなお若々しい作品群を目にしながらも、出来るだけハードルを下げてスクリーンを凝視しようと心に決めた。

 端的に言えば、突如失踪した主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)は当のビクトル・エリセ自身であろう。『別れのまなざし』というタイトルも何だか意味深だが、劇的な出会いを前にこの世界では残酷なすれ違いが幾度も繰り返される。『別れのまなざし』の監督でありフリオの親友でもあったミゲル(マノロ・ソロ)こそが実は我々観客のメタファーであり、願望の投影だろう。映画の世界からはお呼びがかからなくなったというかこんな残酷で汚れた世界からは早々に足を洗った彼は、小説家として第二の人生のスタートを切った。然しながら海兵隊でも同僚で、同じ女を争いながら、監督と俳優として共闘した親友フリオのことが忘れられないでいる。あの日あの時が2人を分かつ分岐点だったはずだ。すっかり草臥れた身なりをしたミゲルの姿に我々観客は自分自身に起きた31年間の変化を否応なく投影してしまう。そして50年を経たアナの姿に思わず涙腺が緩む。

 然しながら今作が孕む致命的な欠落というのは正にビクトル・エリセの31年にも及ぶブランクに違いない。時代はフィルムからデジタルへ、アナログからインターネットへと移り変わり、ある種映画を巡る状況こそが様変わりした。ミゲルは時代に取り残された異人であり、すっかり草臥れた様子をスクリーンに晒しながらも前進を止めない。冒頭の『別れのまなざし』の出来も何だか緩慢で、どこまでが本気かはわからないほど凡庸なのだが、その後の「我々スタッフが一生懸命捜しました。○○さん見つかりましたよ」という島田紳助の『嗚呼!バラ色の珍生!!』のような世界観に正気かと思わずにはいられない。凡庸な失踪番組から行方不明の男を経て、田舎のとある施設長からの匿名の連絡で辿り着く辺りの描写を不器用なビクトル・エリセはその都度、丁寧に説明的に描写する。何もそこまでと思うほどのあまりにも丁寧で説明的過ぎる今作の描写はおそらく31年のブランクに拠るもので、編集に関しても反射神経が痛々しいまでにずれて結果、160分はあまりにも長過ぎるのだが、ラストの陶然としたカタルシスは永遠に収まることはない。記憶よりもデジタル修復されたスクリーンの中で起きていることを固唾を呑みながら見守る私たちの目が全てなのだと。
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