いしだわかな

四月になれば彼女はのいしだわかなのネタバレレビュー・内容・結末

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

あの風を大音量で浴びにきた。
にも関わらず、考えさせられることが多々あった。

[鑑賞をきっかけに考えたことメモ](原作未読)

●「愛を終わらせない方法は手に入れないこと」
めちゃくちゃ同意。
幸せになるのが怖いと思ったことはないけれど。
(自己解釈)
「幸せ」は状態だけど、自分が「幸せ」の中にいる時、それを感じ取れるのは刹那的。
恋情を抱く相手のみならず、あらゆるものは、手に入れると徐々に「日常」に変化してしまう。そんな中、自ら「幸せ」や対象への好意を認識し続けるのはとても難しい。
「恋焦がれる」は手に入らない状態でないと得られない感情。

●原作者の「慣れ」に対する負の感情が垣間見える
上記の弥生の核となる考え方やフジの「懐かしい」という発言へのペンタックスの返答など。
本来(慣れていない状態)なら得られるはずの感情を「慣れ」が阻害していることに言及したセリフが頭に残っている。

●「今日の「好き」はどうやっても明日の「好き」に変わっていく。その変化も、2人で分かち合う、2人で理解して、共有して、日々を過ごしていく。」(春ちゃんのセリフうろ覚え、自己解釈)
そういった気持ちの変化をどう克服していくか。
諦めと受け入れることは紙一重。


ED聴いてようやく物語の片鱗の隅を理解したような気がする。
が、誰の行動がどう作用してどう気持ちに変化が出たのかがとてもわかりづらい。
わかりそうでわからない。
少なくとも私はまだ理解できていない。

この映画を見て、退屈は幸せの上に成り立つものだと思った。
その退屈さえも、愛ないし信頼が育むものだと捉えられれば、充足感を得る機会が増えるかもしれない。