あおは

愛にイナズマのあおはのレビュー・感想・評価

愛にイナズマ(2023年製作の映画)
4.5
鑑賞後の満足感が物凄くて、自分の心のなかで溶けていく余韻を丁寧に味わいながら、ゆっくり劇場を後にした。

自分は同じ時期に公開された『月』と似た部分があるように感じた。
それは「あったことをなかったことにしようとする」という日本の闇。集団心理を強く持つ日本だから色濃く表れるのかもしれない。

コロナ禍で日本人のほとんど全員がマスクを着用していたということは、あるものを隠すという性質のメタファーになっていて、印象的な使われ方をしていた。世間の流れもみて、監督も今撮らなければならないと思ったのではないだろうか。

花子が映画監督という夢を追うなかで立ち塞がった業界の壁。それは、自分の目で見たものや自分の常識で計れないもの、これまで当然とされてきたやり方しか受け入れてもらえないという視野の狭さというのか固さというのか。そこを若さで片づけられてしまうのはやるせないし、理不尽で強い憤りを感じた。コロナ禍はそれまでの常識とかけ離れたことがたくさん起きていて、世間がそこに対応するのが難しかった時期でもあるのだろう。
恐ろしかったのが、自殺しようとしている人がいて、やるなら早くやれと叫ぶ初老の男性が登場することに対して、自分もこんな人いるかな? 命をこんなに軽く見る人がいるかな? と心のどこかで思っていたこと。花子の言ったことが跳ね返されることに怒りを覚えながらも、自分も助監督などと同じことを思っていた構成が巧いと思った。

コロナ禍で大きく変化したルールや正しさ。それまで当然とされていた正しさが世間的には受け入れられなくなったり、自分の正しさにはまらない人が余計に鬱陶しく思えたり、だから正しさを振りかざす人がいたり、作中のセリフでもあったけれど、自分にとってコロナとはどのようなものだったか考え直すきっかけになった。
理由も分からないのに起こったこともたくさんあって、みんなが混乱して、訳の分からないことになって、そのような状況のなかでは過去の経験や伝統に従って生きるというのが不安をできるだけ感じないように生きていく方法で、そのような生き方はもちろん共感できるけれど、だからこそ花子のような新しい人はそこの壁にぶつかることになったのだろうなと感じた。

「舘正夫です。今は夢を探しています」

切実で素直で純粋でどうしようもなく真っ直ぐな目。
彼のこの一言は花子が当たった現実の壁をみせられた後だったから余計に心に響いたし、正夫のことを好きになるのには足りすぎる一言だった。業界の壁に抑圧された後だったからこそ、彼の純粋さが花子にとっては救いだったのだろう。
キスしたことをなかったことにしようとする花子に、「すいません、キスしました」と満面の笑みで言う正夫はすごくおもしろくて愛おしくて、監視カメラで確認するのは好きな映画のシーンを振り返っているようだった。
また自分にとっては、2人が出会ったBARと家族と正夫で行った海鮮丼屋が救いだった。
ルールやお金に縛られず、人の優しさに包まれていて、希望を感じた。

「嘘ばっかついてんじゃねえよ。自分に言ってるんですよ。いつも嘘ついてる自分に」

雨に打たれびしょ濡れになりながらトンネルのなかで正夫が向けるカメラに向かって花子が叫ぶシーンでは、喉の奥で燻っていたわだかまりが喉を突き破っていくような解放感と感動が押し寄せてきた。
酒、愛、カメラ、家族、お金、神様、雷。
人の本性が表れるところがテーマになっていて、そこにも包み隠さずにしっかり見つめて本音でいるという人間の生き方を追求する監督のこだわりを感じた。

「尻尾出しやがったな」

家族が本音で話し出した瞬間にコメディに移って、声を押し殺しながら笑った。

「あの、立ってもらっていいですか?」

からのハグは泣けた。正夫の純粋な優しさがあっただろうし、あのハグで父親も救われたところがあったと思う。みんなが持っていない素直さを正夫だけは初めから持っていた。いや、あの家族が教えてくれたのかも。

花子が映画を撮りたかった理由は、はじめは分からないと言っていたけれど、真実を映したかったからで、そこが石井監督と同じなのではないかなと思った。また、花子の映画は自分の家族が題材になっていたから、今までのことを考えると余計に真実を映したいという思いが強かったのではないかな。
母親のことが分かったときに花子がカメラをとめるのも、彼女が本当に追っていたものが分かったからで、とても印象的だった。

鑑賞後もしばらく余韻が残り、帰ってからも素敵な時間を味わえる作品だった。
あおは

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