hasisi

落下の解剖学のhasisiのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

冬のフランス、南東部。アルプスの麓にある都市、グルノーブルの近郊。
人里離れた山小屋に、中年の夫婦とその息子が暮らしている。
妻のサンドラはドイツから来た小説家。自宅で大学生のインタビューを受けているが、屋根裏部屋にいる夫、サミュエルが大音量で音楽を流して音声が記録できない。
視覚障害のある息子、ダニエルが盲導犬のスヌープと共に散歩から帰宅すると、
家の前で冷たくなっている父、サミュエルの遺体を発見した。

監督は、ジュスティーヌ・トリエ。
脚本は監督と、アルチュール・アラリ。
2023年に公開された法廷スリラー映画です。
※行先の分からない物語の流れに触れながら感想を書いています。⚠️

【主な登場人物】🏔️🏠
[ヴァンサン]旧友で弁護士。
[検事]坊主。
[裁判長]女性。
[サミュエル]夫。
[サンドラ]主人公。
[ゾーイ]大学生。
[ダニエル]11才の息子。
[ヌール]弁護士。
[マージ]法廷監視官。

【概要】👨‍⚖️👩‍⚖️
トリエ監督は、1978年生まれ。フランス出身の女性。
ドキュメンタリー出身で政治への関心が高い。
フィクションはここまでコメディ専門だったが、今回は原点に立ち返るように、現実と地続きのドラマに挑戦している。
登場人物の心のあり様。会話中心。色情。社会への関心の高さは一貫している。
わたしもそうだけど『羊たちの沈黙』直撃世代なので、心理学がベースにある。

脚本のハラリは、1981年生まれ。フランス出身の男性。映画監督でもある。
トリエ監督のパートナーであり、2人の間には子供が2人います。
共同製作は2作目で、前作のコメディ『愛欲のセラピー』からの成長具合がうかがえる。

第76回のカンヌ国際映画祭で、パルムドール(最高賞)を獲得しました。

【感想】🧑‍👩‍🧒🐺
🔊静寂と喧騒。
雪山を舞台にした孤独で静かな物語と、爆音で流される『Bacao Rhythm & Steel Band – PIMP♪』
カリブ海を彷彿させるレゲエサウンドが心地いいカバー曲。
スティールパンのリズムをここまで不快に演出できる監督も珍しい。
原曲の歌詞を聞くと、流している人の心情を想像してしまう仕組み。

相反する要素によって「私はこういう人間です」と示されるお気持ち発表。
嫌な顔をしている観客を眺めて、嬉しそうにしている監督の下卑た笑顔が目に浮かぶ。

⛄疑心暗鬼。
フランス映画で、フランス語が喋れない主人公。すべての人物が疑わしく、敵に見えるが。
観客には彼女が怪しい人物の筆頭に思えてくる。
ミステリー要素は人数が少なくてシンプル。その分、珍しく事件の真相について想像する面白さがある。
観客は疑われる人間に近い視点に置かれるので、緊張感も同時に味わえる。

🪟現場の臨場感。
警察の実況見分は、さながらモキュメンタリーかメイキング映像のよう。
現実に葬りたい人がいて、完全犯罪を妄想するような人。
殺人を犯した悪夢を見て、朝目覚めて「夢でよかった」と安心するような人であれば、より楽しめるだろう。

⚖️裁判。
ミステリーかと思えば、法廷劇に移って愕然。閉鎖された空間で聞かされるマシンガントークで苦行のはじまり。観客の精神を破壊しにきている。
耳障りな音楽は眠気覚ましに。
過剰な言葉責めがけたたましく、モラハラが強烈そうなプライベートを想像させる脚本。
よくここまで他人を責められるものだと呆れる。

日本映画『それでもボクはやってない』を彷彿させる内容。
だが、組み上げられる仮説がどれもしっくりこない。
いくら理屈を説明されても、その人の頭の中で成立しているだけ。相手を有罪にしたくて言葉を並べているだけなので、説得力がない。
……まるで現実の世界で正義を振りかざして襲い掛かってくる人たちのようだ。

🎿反転攻勢。
現代社会を脅かすあらゆる病理に対して。
目には目をで、力で押し返してゆく。
不思議な高揚感。
ずっと殴っているのも作り手なのに、まるで大人しい作り手が戦う力を開花させたかのように。

ヒロユキのマウンティングをロジックで崩壊させる論破系YouTuberに近い。”愛情”が乗せてあるので感情にも訴えかけてくる。
毒を食らわば皿まで。
アンチを研究して体に取り込んで凌駕する。
いま求められていて、誰もやりたがらない仕事をやり遂げている。

📱夫婦喧嘩。
カップルでも、友達でも共通している話。
誰にでも刺さる普遍的な口論で、記憶の蓋が開く。
内容がやけに具体的で、せきらら。
プラベートを曝け出してののしっているような。
それこそが裁判内で議論されている題材の核心であり。
映画の中でずっと引っ掛かっていた部分をびしびし突いてくる。
現実と虚構の曖昧さといったらない。

かなりの曲者だから、わたしだったら近づかないタイプ。
そんな人と正面から向かい合って正論をいう人を、パートナーに選んだら続かない。
(ん? 旦那さんってそんなタイプじゃないよな……)
喧嘩は凄そうなカップルではあるけど、後腐れはなさそうだし。結局は許してくれそう。
いったい誰との会話を書いているだろう……。
やはり、自己嫌悪で落ちている時の自分と向かい合っているのか。
あるいは、別れた以前のパートナーにののしられた記憶の吐き出しか。

💊証言。
迷いつづける者が決断して前に進む勇気。
あるいは「こうあって欲しい」という願い。
すべて解決して、何も解決しない。
泥沼裁判。
上手く生きられなかった悲しみや懺悔。あるがままの姿を飾ることなく。
人の業の恐ろしさと同時に、社会システムの悪影響も描かれていて、複雑な余韻が残る。
「こうはなりたくない」と鏡と向かい合うか「これでいいんだ」と自己肯定するかは観客にゆだねられている。

【映画を振り返って】🍜🍶
夫婦で映画製作しているから『バービー』との共通点が多い。
2つを比較すると、薄味のバービーと、濃口の落下の違いがよく分かる。

喧嘩や鬱の根本の原因は、映画が分かりやすく表現しているように、雪山の孤独なシチュエーションにあるので、問題とまじめに向かい合わない事を前提とする。
(その点では、コメディからドラマに変化したことで失われたものは大きい)

監督の話によれば、2007年にイタリアで起きた「ペルージャ英国人留学生殺害事件」の裁判経過を参考にしたのだとか。
事件の詳細から、判例までよく似ていて、監督の願望を叶えるぴったりな題材。
事件に取り憑かれてゆく過程が手に取るように伝わってくる。

インタビューは、本編と負けず劣らずの気持ち悪さ。エゴイスティックで、話を聞いているだけで、具合が悪くなってくる。
2時間30分かけて味わった苦痛に一瞬で引き戻してくれた。

🗣️会話劇。
否定。話のぶったぎりが多くて不快。心が狭くて居心地が悪い。
静かで煩い。
退屈な授業のようだが、言葉の切れ味が鋭くて暴力的なので眠くならない独特な仕様。
尋常じゃない量しゃべる。
どうやったらこんな御経のような脚本が書けるのだろう。
会話を録音し、それを書き起こして、参考にしたのだろうか。
こんなに体に悪くてストレスのかかる映画もない。
お陰で、体が揺れてくるなんて稀有な体験ができた。

✨ナルシズム。
自由奔放に生きて、誰の指示にも従わない人の持つ幻想。認知的不協和理論が生み出す被害者意識。
言い訳いいわけ。
世界が自分を中心に回っている。裁判の舞台は人々から注目を集めて釈明ができ、かつ、白黒はっきりつく究極の場なのだろう。
他人を醜く、ゲームマスターである主人公を魅力的に描く気持ち悪さといったらない。

それと、誰かのために生きたい、パートナーを必要とする人のあふれ出る愛情。
その相反する要素の狭間で、引き裂かれそうな苦しみが表現されている。
人間は矛盾している生き物。
アンバランスなものほど世の中では打倒しにくいが、そんな珍品の煌めきこそ、カンヌのグルメたちは求めている。

💿パートナー。
音楽だとラップバトル。2つの個性がぶつかり合い、相乗効果で互いの魅力が引き出されている。
案外、旦那さんの方もけたたましくて、相反すれど、似たような現象として表に現れるから不思議なもの。
本作を体験した後だと、孤独な奇才たちが心情を吐露する過去のパルムンドールが寂しく思えてくる。
無論、不毛な争いがつづくから、知の探究においては非効率だが。
いちゃいちゃや議論が生きる楽しみのすべて、と捉えるような人であれば、より響く内容だろう。
わがままな監督の隣によき理解者がいる奇跡。
夫婦にしか作れない映画がそこにある。
hasisi

hasisi