老人XY

マイ・エスケープ 今しかないものの老人XYのレビュー・感想・評価

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問題ってのには2つあってさ。

1つは正解がある問題。例えば答えを数字で表せる問い。1+1=2とか、今現在の部屋の湿度は25%ですとかそういうの。
で、その問題に対する答えは、正解か誤答のどちらか。答えを出すのにとても時間がかかったり、複雑で難解な計算の手順を踏んだりすることがあっても、正解が出せる。
もう1つは正解がない問題。例えば、人生とはなんですか?幸せとはなんですか?とかそういうの。で、この問題に対する答えは『意見』か『反応』のどちらか。
ここテストに出るからもう一度言います。
正解がない問いに対する返答には『意見』と『反応』があります。
そんでもってここから先がさらに大事で、まず意見と反応は何が違うのかというと自分の『立場』を表明しているかどうかがポイントになります。
あなたは〇〇に賛成ですか?反対ですか?
これに対して、私は賛成です↔僕は反対です、これはどちらも意見になると。
じゃあ反応の方はどうかというと…〇〇ってスゴい複雑な話だよねぇ、〇〇ねぇ大事なことだよね、〇〇するには☓☓のせいでできないんじゃない?といった、何か言ってる風だけど自分の立場を巧妙に表明していない発言になります。
現代の日本人は反応しかしてないんじゃあないかと。
でね、意見についてなんですけど、そもそも正解のない問題に対する答えが『意見』なのでそれに正しいも間違いもないわけですよ。それぞれ、各々、老若男女、人によって千差万別の意見があるだけで、意見を否定されるイワレはないんです。
だから、人から何かを問われた時、自分で自分に何かを問う時、その問いは正解がある問いなのか?正解がない問いなのか?を考えて分けることが大事なんだと。
考えた結果、それはどうやら正解がない問いでしたとなって、知識ないなりに、経験ないなりに、自分の頭で考えて考えて、出したものが反応ではなく1つの意見に結晶したとして。なんらかの機会に他人に聞かせることになったとして。それがメッタメタに否定されたとしましょう。

だ か ら ど う し た

そんなもん全然関係ないんです。全く傷付く必要もない。この人は私とは意見が違うんだな、で終わり。もちろん、正解のある問いについての答えを間違えてるのに、間違えてないと言い張るのはおかしなことになってきますが。

上記の事は本で読んだことの受売りをそのまま書いただけなんスけど、これらの考え方を理解したとき、僕は自分の価値観がアップデートされたような感覚になりました。
そもそも日本はさ、お前の意見なんか聞いてねぇよって、そういう空気感あるよね。他人から言われる場合もあるし、自分自身で自虐的にそう思う場合もあるし。

最近でいうとオリラジ中田と松本人志の騒動がすごく興味深かった。芸能人とか一般人とか関係なく、意見を表明してるのか反応してるだけなのか一目瞭然だった。

意見を言うことが良い・反応することが悪いって話ではないことをここで強調しておく。

そんでまぁ長々と書いたけど改めて思ったことが、やっぱりフィルマークスでは点数を付けるのはやめとこうと。なんなら良かった点・悪かった点どころか好きか嫌いかさえ評価したり判断したりするのも基本的には避けたい。
まずしっかり作品をみること。そこが何よりも重要なんじゃあないか。在るものは在る、無いものは無いと理解することがまず先で、その後に意見があれば書けばいいし、なければないでいいし。なんで意見が出てこないのか考えてみるのもまた面白いし。感情的に強く反応してしまう自分が出てくるのもそれはそれで一興。




この作品について書けよって思うじゃん?
わりとこういう作品です…フヒヒ
自分の意見がある奴はナメられないって、ふぉいの切り抜き動画でも言ってたもん!
さすがにこのレビュー数とクリップ数はさびしいYo!
アマプラ利用してる人はチェケラ!
老人XY

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