このレビューはネタバレを含みます
なぜ犬ではなく犬人間である必要があったのか?
富豪のクリスチャンは両親を亡くした喪失感を埋めるために倒錯的な形で無償の愛情を求めた人間で「友達は金が目的で寄ってきた」と述べた通り、人間不審に陥っていたからこそ裏切らず無償の愛を注いでくれる犬が彼にとっての理想だった。
犬には寿命の問題があり両親同様に先に他界してしまうので自分と同じ寿命をもつ犬人間を求めるようになる、しかし成人した犬人間では人格を消しきれないので人格が形成される前の人間の子供が必要になった、その結果あのラストに繋がる(作中行為のシーンが多かったのはクリスチャンの目的が繁殖だった為)
毎日運動を欠かさず食事にも気を使い、規律を守り自己を律する事が出来るハンサムな富豪という設定から観ると、一見アメリカンサイコのようだが中身はプリティウーマンのような映画だった。
心理学を学んでいるのに「全く人の心が読めない女」と「人の心は読めるが共感能力が皆無の男」が織りなす愛に飢えた男と女のズーフィリア(動物性愛)ラブコメディ作品。