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素ッ裸の年令のnetfilmsのレビュー・感想・評価

素ッ裸の年令(1959年製作の映画)
3.7
 交通量の多い道路をバイクがけたたましい音を立てながら、スピードを上げて走る。その様子を羨まし気な様子で見つめていたサブ(藤巻三郎)の背中を見て、19歳の健(赤木圭一郎)は「乗るか」と声を掛ける。それが健とサブの出会いだった。2人は河口付近でケンカし、互いを認め合うと米軍基地の片隅にうち捨てられていたあるカマボコ兵舎へサブを誘った。19歳の健をリーダー格に、ダダ公、バッタと命名された不良の少年少女たちはそこを別荘と呼んで秘密の隠れ家にしていた。彼らは盗んだバイクで大学生相手にスピードを競い、負けた相手から金をせしめるなど、様々な非道を行っていた。カマボコ兵舎を隠れ家とする彼らの集いは束の間のユートピアとして機能し、健は先生とは違う悪い遊びを教えてくれるメンターとして登場する。彼らの決まりごとは盗んだ金を全員で平等に分配することだった。ローティーンを束ねる健のカリスマ性にサブは惚れ込んでいた。しかしある事件が元で、2人の関係に亀裂が走る。

 和製ジェームズ・ディーンとの呼び声もあった赤木圭一郎の主演第一作となる本作は、若者たちの無軌道な暴走をリズミカルに描く。スピードが青春の象徴だと言わんばかりに、ローティーンを率いる健は暴走行為を繰り返す。時には商店街の乳飲み子を乗せたベビー・カーを轢きかけ、牧歌的な海水浴場の帰りの列を左右に散りじりにするバイクのエネルギーとスピードに魅せられ、子供たちは享楽的な犯罪を繰り返す。ローティーンのサブにとってはカリスマ的なスタイルで皆を統率し、秘かに憧れる陽子(堀恭子)の気持ちさえ射止めている健の姿はどこまでも頼もしく映るのだが、スピードに魅せられた2人の行方は『狂い咲きサンダーロード』の仁と茂のように永遠には続かない。中盤登場するサブの生い立ちがなかなか悲惨で、貧乏な家に生まれた彼は高校に進学したいと思っているが、貧しい両親は彼に学費を払ってくれようとしない。それゆえに健のコミュニティに入ったサブは毎月コツコツとお金を貯めようとするのだが、せっかく貯めたお金を母親に取り上げられる。きな臭い新聞記事や金持ち家族との対比。やがて唯一、兄貴のような存在だと慕っていた健とも対立する。健も健で20歳を目前に控え、秘かに自身の未来に思い悩んでいたのだ。

 クライマックスの無軌道な暴走の代償は、赤木圭一郎の悲劇の死を彷彿とさせる。それまで散々スピードを礼賛するようなリズミカルなカッティングで魅了した鈴木清順も、最後にはティーンに決定的なけじめをつけさせる。だが生と死を分けた今作のクライマックスに彼が用意したのは、屑拾いの老人・権爺(左卜全)の見つめるユートピアに他ならない。その姿はさながら地上で起きた出来事を見つめる神のようにも見える。
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