三四郎

Dein Leben gehört mir(原題)の三四郎のレビュー・感想・評価

Dein Leben gehört mir(原題)(1939年製作の映画)
4.8
支那を思わせる東洋趣味の宴と支那風のメロディから始まるメロドラマ的犯罪映画。と言いたいところだが、どうもこの東洋趣味の宴は「蝶々夫人」をイメージしているらしい。欧米人にとっては、日本も支那も同じ文化に見えるのだろう。

タイトルを訳すなら「君の人生は僕のもの」。タイトルからして興味をそそられる笑 
恐らくこのタイトル「君の人生は僕のもの」には、二つの意味があると言えるだろう。
ひとつは、母親のかつての恋人が自分から去っていった彼女を再び我がものにしようとすること。
もうひとつは、娘に想いを寄せる青年が、娘が母親のかつての恋人を毒殺したと勘違いし、彼女(娘)をかばう為に犯してもいない罪をかぶり彼女の身代わりになろうとすること。

もちろん「あなたの人生は私のもの」でも良いだろう。その場合、上記に追加でもう二つの意味が加わる。
ひとつは、長い間、娘の為に女手ひとつで子育てをしてきた母親の娘への何ものにも変え難い愛。
もうひとつは、そんな母を慕っているが故に幸せになって欲しいという娘の願い。

日本では上映されていないが、なかなかどうして傑作だと思う。

母親役ドロテア・ヴィークの東洋趣味の衣装姿がまたなんとも艶かしく美しい!
聡明そうで静かに物想いに耽るような悩ましげな瞳…。家に彼女の肖像画を飾っておきたいものだ。
クライマックスにおけるドロテアのアップショット、その一人語りと雄弁な表情は圧巻だ。

【映画の内容】
ある手紙を巡り、エヴリンとヴァイオリンの名手ヨアヒムの間で喧嘩が起こり、エヴリンは手紙の引き渡しを要求する。翌日の船上パーティーで、エヴリンに恋するゲオルクは、彼女がヨアヒムの飲み物に粉を混ぜているのを目撃する。しばらくして、ヨアヒムは毒を盛られて死んでしまう。船上パーティーの参加者全員に殺人の容疑がかかる。エヴリンをかばうため、ゲオルクは虚偽の自白をする。しかし、警察の捜査で、エヴリンはヨアヒムの上着のポケットにあった手紙を奪うために、ヨアヒムの飲み物に眠り薬を入れただけだったことが判明する。
ヨアヒムはかつてエヴリンの母エヴァと交際していたが、エヴァは彼と別れて南米の教授と結婚するために彼から離れた。そこでヨアヒムはまず古い手紙でエヴァを脅迫し、次に教授を毒殺しようと考えていた。船上パーティーの日、邸宅でエヴァがメイドに対して教授のためにコーヒーを持ってくるように言い、それを聞いていたヨアヒムは、毒を入れたコーヒーカップを何も知らないメイドに渡し、「これを教授に」と持って行かせる。しかし、エヴァがコーヒーを見て、「教授にはミルク無しよ」と言い、メイドは戻ってきて、その毒の入ったコーヒーをテーブルに置く。そこに外を眺めていたヨアヒムが戻ってきて、テーブルに置いてあった毒入りコーヒーを自ら飲んでしまう。そして数十分後、船上パーティーの際に毒が回ってきたヨアヒムは死に至る。
しかし、このような悲劇が起こったものの、この一連の出来事により、母親思いの娘エヴリンは、自分のことを何よりも愛してくれる男性ゲオルクを見つけることができた。



国民啓蒙・宣伝大臣ゲッベルスが気に入らなかった映画は沢山あるだろうが、この作品もゲッベルスが批判した映画のひとつ。
「この映画は極めて劣悪であるし、何よりこういう世界はこの時勢には全く耐え難い」と苦言を呈している。彼は「ドイツの劇映画は、 結婚生活の危機と離婚を題材とした物語がとても多い」と言い、「いわゆる社交界映画では、都市住民は上等な服を着て、豪華な家に住み、最高の食事と飲み物に囲まれたタダの怠け者であり、その人生の目的は恋愛物語を解決することにある」 ように描かれており、これは国民に対して有害な影響を与える恐れがある、と鋭く批判していた。
ゲッベルスは、特に、医師と芸術家の世界を扱った映画を制限しようとし、医師と芸術家ではなく、国民と家族をテーマにした映画を製作するように、映画会社へ向けて指示していた。
松竹大船調(小市民/プチブルの心温まるホームドラマ)が大好きな私には、不道徳な世界を描いた映画を善しとしないゲッベルスの理想は非常に理解できるが、本人が不倫を繰り返しているが故に、どの口がほざいているのかとツッコミたくなる笑
三四郎

三四郎