よぼよぼのおじいさん

夜明けのすべてのよぼよぼのおじいさんのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.0
「なんで今回は米ビスタ?あんなスタイルいい長身美男がオドオドしてるわけないだろ〜『夜明けのすべて』」



本作は, PMSとパニック障害という一定以上の重力を纏った制約をそれぞれ背負った藤沢(上白石萌音)と山添(松村北斗)を中心に, 彼らの生きる小さな「輪」から宇宙規模の「輪」へと物語が発展し, 最終的に各々の生活が刻む小さなリズムへと回帰していく. 彼らが, そして私たちが生きるこの世界には, 決められたルートを辿るバスをはじめ, 十二という周期的な単位時間の流転, さらには避けられない出会いと別れの光の弧を描く地球の自転が存在し, 藤沢と山添という人よりも大きな重力を保持する存在は, 彼ら自身のもつ遠心力によってその輪から外れてしまうことがある. 手持ちカメラも見た目のショットも極限まで抑え, 焦点だけでなく周辺を写し得る1:1.85というあくまでも客観的な枠で対象を映していく本作には, 精密に組み編まれた作品内の写実性とその芸術性の調和がスクリーンに投射され, それがある人には現実との齟齬から来る気持ち悪さを, またある人には美しき温もりの片鱗を残す.

『夜明けのすべて』の物語は0から始まらない. 劇的な幕開きもわざとらしいプロットツイストもなく, 序盤に藤沢の多少のモノローグはあるもののそれぞれの登場人物が既に多くの苦難を体験してきたという事実が語らずして自然と流入してくる. 全ての登場人物に緻密なバックグラウンドを構築されていることがわかる. 仕事として誠実に藤沢と相対する一方で家族との繋がりも滲み出す転職アドバイザー(梅舟惟永), メイン二人に丁寧な視線や言葉を送るだけでなく彼ら自身も辛い過去を経てきたことを思わせる栗田社長(光石研)や山添の元上司である辻本(渋川清彦), リハビリをする藤沢の母(りょう)と屈託なく会話できるほど既に多くの時間を共に過ごしたであろう介護士(柴田貴哉). ただ藤沢と山添が懊悩し, 状況を打破していく物語になっていない. 彼らは周りから多くの優しさを浴びるが, 同時に彼ら自身も周りに働かきかけ, 人間関係が輪を描いて広がっていくように作られている. だからこそ登場人物全員の言葉一つ一つ, 延いては彼らが生きる空間自体に厚みが生まれている. 周囲を映せるアメリカンビスタもその一端を担っているだろうし, 画面内の人物の細やかなやり取りに私たちは感動を覚え得るかもしれない.

そして何よりもライティング, 照明の設計がとことん計算され尽くしており, 劇場の大スクリーンで魅了されることが勧められる. 合間合間に挟まれるマンション群や闇夜に覆われた街の俯瞰ショットは彼らが確かに移ろいゆくこの社会に生きていることを思い出させる. 最初は夕暮れの街を見上げるショット, 次第に燈灯る夜景を俯瞰で映すように, 深い夜に侵入していく. 1.85が採用されたのも上記のように「小さな周辺」を映すためだけではなく, このような社会全体を喚起させる光景を撮るためだったのだと推測する. もう一つの採用理由として考えられるのは, 栗田科学のオフィス内でもふんだん用いられた我々の意志と関係なく絶えず移ろいゆく自然光を収めるためだろう. 我々の肌感でも太陽の光を用いると影は長く伸びる. 全てとは言わないまでも, その光と影が存在する画面は美しい.

藤沢と山添の一対一の関わり合いの描写については今回は文意にそぐわないと判断したため惜しくも割愛したが, その点に着目してもたいへん素晴らしい作品であると判断する人が殆どだろう. 撮影現場のメンバーがどのように三宅監督の制作方式に納得していったのかが気になるところだ. 三宅監督の顔が一見すると怖いから, 当初は誰も質問せず, 結果的に彼の意図を遡行的に究明していったような現場だったんだろうか. 監督の今後の作品にも映画を愛する全ての人が注目を寄せているだろう.