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マリウポリの20日間/実録 マリウポリの20日間のERIのレビュー・感想・評価

4.2
会社の先輩に勧められて、2024年アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した「マリウポリの20日間」を映画館に見てきました。

4月26日公開から3週間強。日本全国でたった17館の上映。おそらくほとんど宣伝されてないだろうから、一部の映画ファンしか本作の存在自体を知らないかも知れない。

劇場では、たまたま私の前の列には、高校生ぐらいの男の子が一人で見にきていたり、大学生ぐらいの女の子が一人で見にきていたりとそのことに微かな光を感じつつ、こういう作品こそもっと日本中で共有され語られるといいなと思わざるを得ない。


本作は2022年2月24日からの20日間をAP通信のジャーナリストが母国のマリウポリを実録した事実。ロシアがウクライナを攻める。どんな大義名分があっても犠牲を負うのは弱者で、民間人には手を出さないと言いつつ、病院、マンション、公共バスなど街はあっという間に失墜していく。人は家を無くし、食料を無くし、薬をなくし、ラジオ、インターネットは切断され、何も情報はなくただその場で逃げ惑うばかり。幼い子供たちも容赦なく殺され、一体何が起きたのかまるで地獄だ。

本作を撮影したビデオジャーナリストのミスティスラフは、撮影した動画を通信状況がほぼない中、編集部に動画を送りウクライナの今を世界中に発信し、世界にこの事実を伝え、助けを求める。

中盤に、本作の産婦人科を爆発された映像がニュースに取り上げられた後、それは役者たちのフェイクだという情報が飛び交った。ロシアは情報に勝ったものがこの戦争の勝者となると言い、ウクライナからの映像は全てフェイクだと言い張る。

本作からは、もちろんウクライナの情勢やここから計り知る戦争の絶望を学ぶと同時に、私たちが生きる今の「情報」との触れ方について考えさせられるものだった。

映像を見ていて一番考えさせられたのは、ニュースやXなどでみる「断片的な情報」と本作のようにしっかりと文脈をなぞられながらある程度の時間軸で構成された情報との感じ方、気づき、印象の違いだった。

切り取られた情報はどうしても切り取った人間の解釈が無意識に入る。そのことを受け手側は自覚しておく必要があるし、その情報が事実か、その内容から何を考えるか?受け手の主体性が本当はとても大事だ。情報との接し方、リテラシーを育てていかないと、あっという間に飲み込まれてしまう。

つまり自己批判的に情報と向き合っていないと何を選択すべきかわからなくなってしまうなぁと。


そしてこの作品はAP通信のジャーナリストの命をかけた映像のおかげで、権力に迎合しない民間人の声を聞くことができているけど、日本では全くと言っていいほどジャーナリズムが機能していないわけでそれは、ジャーナリズムを支持する国民側の後押しが最も大事で、誰かがやるではなく、本作ではミスティスラフを助けた医師らの協力はきっと彼が真実を世界に発信する上での大きな支えになったに違いない。


今を生きる自分は今どう生きていくのか、考えさせられるし、遠い別の場所で起きていることでもなく、遠い昔の話でもなく、今私たちの生活と地続きで起きているこの悲惨な状況に私たちは関心を持つ必要がある。


作品的には「娘は戦場で生まれた」を思い出したよ。
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