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マリウポリ 7日間の記録のKUBOのレビュー・感想・評価

マリウポリ 7日間の記録(2022年製作の映画)
3.5
今日は、昨年カンヌ映画祭で上映され「ドキュメンタリー審査員特別賞」を受賞した『マリウポリ 7日間の記録』を、公開初日、舞台挨拶付き上映で鑑賞してきました。

マリウポリというと、あのアゾフスタリ製鉄所での激しい戦闘を思い起こすが、本作には、テレビのニュースで見るような激しい戦闘シーンなどは一切ない。

2022年3月、マリウポリに入ったマンタス・クヴェダラヴィチウス監督は目の前に悲惨な状況があってもそれを撮ろうとはせずに「死体を撮りに来たんじゃない。僕は人の生き方に興味がある」と言って、ほぼ廃墟となったマリウポリから逃げ遅れた人たちが、片寄あって暮らす教会での人々の日々の暮らしを撮り続ける。

窓から見える瓦礫の町のあちこちに黒煙が上がっている。断続的に鳴り響く砲撃の音。ナレーションも音楽も一切入らず、客席には睡魔に襲われる人も多数いたが、突然轟く砲撃音にウトウトしていた観客もびっくりして飛び起きる。これぞ追体験かもしれない。

電源が落ち、真っ暗な室内で懐中電灯の光だけで行われる夕食。ボルシチを温めるのは、危険を覚悟で屋外に出て、瓦礫の中から拾った木材を燃やして大鍋で煮る男たち。

あくまでも監督は、マリウポリに残った人たちの、そこで生きる日常を記録する。

ただ、その日常の中にも普通に死体は転がっている。昨年見たヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督の『アトランティス』が予見した未来がそこにある。

驚いたのは、人々は教会からの立ち退きをウクライナ兵士から要求される。「空き家はいっぱいあるだろう」と言われても、全部廃墟の瓦礫の山。どうやって生きていけばいいんだ!と男性は嘆く。

「ソ連時代はよかった。まだ平和に暮らせてた。独立し、民主主義国家となり、世間から『良い政権』と言われる政権になればなるほど、私たちの生活はひどくなってしまった」

沖縄戦における日本軍の言動とも重なるし、アメリカ世からヤマト世と支配者が次々に変わっていった沖縄人の背景とも根を同じくするような言葉も聞くことができる。

マンタス・クヴェダラヴィチウス監督は、このフィルムの撮影中にロシア軍に拘束され、殺害されてしまう。撮影済みのフィルムは、監督のフィアンセで助監督のハンナさんが遺体と共に持ち帰り、急遽編集の上、カンヌ国際映画祭で上映された。

以下、ハンナさんの証言を転載する。
「私は、彼が見つからなかったらどうしようと恐れていました。そして彼を見つけるまで、そこを離れませんでした。生きていようが、死んでいようが、私たち二人は最後までいっしょだとわかっていました。彼は戦争で殺されたのではありません。「人間」に殺されたのです。そして私は彼の作品を完成させ、マリウポリの人々が、どのように暮らしているかを世界に伝えたいのです。その全てはカメラに収められています。私たちは、戦時下で人々がどのように生活しているかを見るために現地へ行ったのです。」

パンフレットに書かれているハンナさんの撮影日誌を映画化したら、さぞかし波瀾万丈のノンフィクションになるだろうが、死したマンタス・クヴェダラヴィチウス監督の望んだ作品はそういうロシアの戦争犯罪を暴くようなフィルムではなく、『この世界の片隅で』のような戦時下での日常を必死に生きる人たちの営みだ。

上映後の舞台挨拶では、プロデューサーのナディア・トリンチェフさんが登壇。マンタス・クヴェダラヴィチウス監督の意思を継ぎ、本作を世に出すまでのお話を聞くことができた。

だんだんニュースでの扱いも少なくなり、ウクライナでの戦争から関心が薄くなってきている昨今、まだ戦闘が続くウクライナ東部ではこのような日常を送っている人たちがいることを、私たちは忘れてはならない。
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