ギズモX

ゴジラxコング 新たなる帝国のギズモXのレビュー・感想・評価

4.8
「争いをやめて、みんなで力で合わせて、地球をキングギドラの暴力から守ろう」
「俺たちの知ったことか。勝手にしやがれ」
「我々が人間を助ける理由などない。人間はいつも我々をいじめているでないか」
「この地球は人間だけのものではない。みんなのものだ。その地球を守るために戦うのは当たり前ではないか」
『三大怪獣 地球最大の決戦』より

初代『キングコング』には、物語の中に奴隷として故郷から連れ去られる黒人達のメタファーが込められていた。
絶対的な力でかの地を支配する王者が近代的な文明を持つ外来者の私利私欲によって捕らえられ、人々の見せものへと堕ちていく様子からは、人間の身勝手さと支配者の井の中の蛙なコミュニティの小ささが浮かび上がってくる。
また、昭和後期〜VSシリーズのゴジラ作品にも、圧倒的な力を持ちつつも人間の行いによって居場所が失われ、徐々に追い詰められていく怪獣達の悲哀が描かれていた。
怪獣とは強大な力を有しているにも関わらず、"コミュニティ"を持たぬが故に倒され続ける哀しき生物なのである。
では、もしも彼ら怪獣達が我々に匹敵する文明を持っていたとしたら?
そして彼らの中の一派が「奴らが我々に行ったことを我々も奴らにやり返してやろう」と、逆に軍団を率いて地上に攻めて来たとしたら?
その答えが本作『G×K』の中にある。

モンスターバースの最新作にて最高傑作。
前作のラストで地下世界に暮らすことになったコングと地上の怪獣王ゴジラが、地上侵略を企てる悪のキングコングの軍団と激突するストーリー。
話のテンポ、大迫力なアクション、そして怪獣の圧倒的スケール、全てが完璧。
そうだ、僕が見たかったのはこれだったのだ!
中でも僕が秀逸だと感じたのが怪獣達による"コミュニティ"だ。
本作は怪獣を怪獣として描いていない。
怪獣を"一人の人間"として描いている。
怪獣の言動はより人間に近いものとなり、言葉を介さなくとも理解できる状態にまで繊細に描写したことによって、あの『猿の惑星』に登場する猿達のように独自のコミュニティを築き上げている。
これはもはや怪獣の文明開花と言っていい。

怪獣映画というのは怪獣という他者、コミュニティを用いて我々人間はどうあるべきかを常に説いていた。
特定のコミュニティの暴走に対抗できる唯一の力はそれを上回るコミュニティだけだ。
悪のキングコングという自分がなり得たかもしれない脅威に共闘を決意するゴジラとコング。そしてその二つの世界の架け橋となるべく覚醒した一人の少女。
本作はそのような危機を乗り越えていく他者との繋がりを深く感じた大作であったと言えよう。

彼らはこれまでは文明を持たぬ個体だった。
居場所を失い、世界から排除されてきた存在だった。
今はもう違う。
彼らには"コミュニティ"がある。
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