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君たちはどう生きるかのohassyのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.8
すでにさまざまな感想や考察にあふれており、真新しい意見を述べることもできないのだけれど。

上映スケジュール以外ほとんど情報を出さないことで、何にせよ観る僕のようは映画ファンにとっては普段より数倍の楽しみを保証されたものであった。
今の世の中で映画を見る前に、「どんな物語なのだろう」「誰が出演するんだろう」などと想いを巡らせることはほとんど不可能だ。
そういう意味で、本作は観る前から一定レベル以上の楽しさが保証されていた。

で、観終わった直後はといえば、何とも言いようのない、明るいというよりちょっと陰が差したような心持ちになった、というのが正直な感想だ。
つまらなかったということではなく、これぞ宮崎駿だと感動したし、これを観た後にでは「風立ちぬ」が引退作のわけがないと思えた。
ルックは少し古びた印象を持ったかもしれない、でもれっきとした純度1000%の宮崎アニメであった。
余韻に浸りながら米津玄師の「地球儀」PRを見ると、もう一度あの世界に戻りたくて切ない気持ちになる。
この陰のような寂しさはなんだろう?

考えてみるに。
本作は、誰かに何かを感じてもらおう、楽しんでもらおうという意図があまりにも希薄であり、どちらかといえば自分の中身を曝け出そうという行為と受け取れる。
つまりはいわゆる「終活」なのではないか?
だから、陰が付きまとうのでは?

そんなモヤっとした気分を引きずっていたのだけれど、とある人の言葉が僕の思いを明確にしてくれたので、それを引用したい。

「映画を観に行ったというより、お葬式に出席した気分になった」

タレントの伊集院光の奥様の言葉である。
そうなのだ。
お葬式というのは生前関係のあった方を偲んで参加するものであり、式についてあまりあーだこーだ語るものではない。
まして、知らない人の葬儀に参加する必要もないので、誰かに勧めるのも何だか違う気がしてしまう。
生前関係の深かった方の葬儀ならそれなりの感情が生まれるけれど、あまり関係のない方のそれであればどちらかといえば手持ち無沙汰になってしまう。
そういうものだ。
だから、「面白かった?」と聞かれれば、「僕は面白かったよ」と答えるしかない。

そう考えてみると、本作を観てそれなりの気持ちが膨らんだ僕は、(もちろん一方的にだけれど)宮崎駿と深い関係があったと言えるのだろう。
ナウシカとラピュタは後のテレビ放送で知ることとなったが、中学3年生で鑑賞した「となりのトトロ」に感銘を受けてからは、すべての作品を映画館で観てきた。
仕事のつながりでジブリを見学させてもらうこともできたし、末席とはいえアニメに関連する世界にぶら下がってもいる。
参列する資格はギリギリ持っているはずだ。

なんだか追悼みたいになってしまった。
全然お元気そうですしまだまだ作ってください。
長編である必要はないし、完結している必要すらありません。
どんな内容でもお金払います。
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