砂場

水いらずの星の砂場のレビュー・感想・評価

水いらずの星(2023年製作の映画)
4.4
このレビューにはネタバレが散りばめられていますのでご注意!
この傑作を多くの人にお勧めしたいです

冒頭の粗い白黒のプライベートフィルム映像からこの映画は始まる。海岸を楽しそうに走る女、ショットは男に切り替わる、舐め回すように女の顔にカメラは接近、かと思うと仲睦まじい二人をフレームに収める。
ふと軽い疑問がよぎる、このプライベートフィルムを撮影しているのは誰なのだろうか、、、この第三者の視線への微かな違和感は本編になっても持続する。

元夫が数年ぶりに女を訪れアパートに転がり込んできて、室内劇が始まる、壮絶な女の過去、夫だった男はその過去に打ちのめされる。男は死期が近い、狭いアパートの一室で女の感情が男を圧倒しているように見える。女は1万円で元夫に体を売る女はお前と呼ばせない、そのくせ自分はあんたと呼ぶ、女は爆笑と激昂、甘えがくるくると入れ替わり感情が不安定である、その表情は少女のようでも老婆のようでも悪霊のようでもある。

これでもかと女の荒んだ生活が明らかになり、さらに男をうちのめす。
どこか昭和の匂いのする愛憎劇だ、室内から移動がないにも関わらず、この映画には愛の暴力が溢れていて長崎弁の二人のやりとりには圧倒された、外はいつも雨、雨音がノイズのよう。

原作のことは不勉強で全然知らなかったので展開が読めない、それはかえってよかった。愛の暴力に圧倒されるが、次第に観ているこっちは不思議な感覚を覚える
部屋には男と女しかいないのだが、いつも誰かが見ているように思えるのだ、あの部屋の隅っこの暗がりに誰かいるのではないか、窓ガラスに誰か映っているのではないか、、、、二人を映すカメラは水平の時もあるが、たまにやや上から撮影していることもあるそうなると幽霊が二人を見下ろしているような気にもなるし、二人の魂が幽体離脱し本人を見おろしているようでもある、そもそも我々観客が幽霊としてそこに入り込んでいるような錯覚を覚える。もちろん本作が映画作品として制作されている以上は、演者の外側にはカメラマンがいて撮影していることは当たり前の事実だが、本作を見ているうちにそういった制作のプロセスは吹っ飛んでしまい、二人のプライベートフィルムを幽霊が撮っているように思えてくる。それを観るこっち側は観るというより視姦しているような気分になってくる
これは冒頭のちょっとした視線への違和感、あのプライベートフィルムを撮ったのは誰か?につながる

部屋にある非常用の赤いライトが不自然に赤い、しかも結構な頻度でカメラに収まっている。この赤いライトに監視されている感覚、『2001年宇宙の旅』のHALによる監視を思い出させた。この誰が二人を見ている感じ、監視している感じもっと言えば視姦の感覚を含みつつ物語は終盤に過激に転調する
幽霊、魂、HALに加え超能力が登場しSFサイキックバトルの様相を呈すのである。

ところで本作はかなり『ブレードランナー』を意識した作りになっている、わざわざ何度も女にレプリカントと言わせているが、田舎の売春バーの女がレプリカントというとは思えず意図を感じる、そういえば外の雨も酸性雨のようであるし、本作では目玉が重要なメタファーであるが、『ブレードランナー』でも目玉がレプリカントの認証ツールだった。

この私小説のような内的宇宙の世界がSF的構想力に接続されるというのは一見すると突飛な発想であるが、日本の私小説とか内的宇宙系の小説に見られるものでもある。藤枝静男の『田紳有楽』や、中上健次、大庭みな子の小説などがそうだ。
スプーンで義眼の右目を隠す女の姿はレプリカントとか『メトロポリス』のマリアのように美しい、義眼は世界の栓だったのだ。
レプリカントの認証ツールである目玉を通じて浄土と現世をインターフェースする、男の顔は晴れやかである。この微笑みには何か救われるものを感じた。女も表情は柔らかい、誰が偽物で誰が本物か、誰が生きていて誰が幽霊なのか、誰がレプリカントなのかはっきり回答が提示されるわけではないが、イマココで起きていることは掛け値なしの本物であり、それでいいじゃないかと言われているような気がして観てて人生に勇気が湧いてきた。

傑作をありがとう、生きる勇気をもらいました
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