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怪物のkyonのレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
4.0
どちらかではなく真実はその間にある。

最近ちょうど現代思想入門の本を読んでいて、そこには二項対立から一旦脱してその先のもう一つの解や道を考えてみる思考が現代には必要なのではないか、というメッセージが印象的で。

世の中には白黒だけでは解決できないことや白黒に区切りをつけた途端、陳腐なものになってしまうものがある。現代思想の思考法は、今あるリアリティを複雑に解像度を上げて見ることができる、簡単に要約しちゃったけどそういったことが書かれていて。

作品を観ながらそういった言葉がふと脳裏によぎって、ああ、そういった側面がある作品だなと思った。

何か起きたとき、私たちは真実を1つに固定して答えを手に入れたくなる。安心できるからだ。

ただこの作品ではそういった私たちの見方を脚本はもちろん作品自体が転換装置になっている気がしたな。

まずタイトル。「怪物」に多分最初から良いイメージを持つ人って少ないと思う。そして予告編の"怪物だーれだ"の台詞。テーマにもかかっているけれど、後にそれは2人の繊細な思考の先にある、"生まれ変わり"といったキーワードをもとに考えられたゲームだったとわかる。

でもこのゲーム、2人とも相手の引いたカードのヒントを与えるとき長所を言う。短所ではなく、長所を言い合っていて、その中で2人の中の"怪物"は醜いものでも恐れられるものでも、忌避されるものでもないんだな、と思ったときタイトルの意味合いも転換された気がした。


作品も3つの構成で徐々に物事の大枠が明らかになっていく中で、予定調和を踏襲したり外したり、そんな演出が全体的に機能していたと思う。

特に安藤サクラ演じるシングルマザーの早織視点から描かれたとき、何回湊が命を落とした…!?と思ってしまったか笑

そこには王道パターンを観てきた(と想定して)そう思わされる前フリを安藤サクラの圧巻の表情や仕草やカメラワークの間で作られているような印象がある。

いじめ(られているかも)と思う伏線やミスリード、保利の証言が散りばめられ、観客は早織と同じく湊の実像を掴めずにいる。


一方保利の視点では保利の実像が見えてくる。生徒のことを考えて動いているだけなのにどうもうまくいかない。多分作品の中で湊たちに1番振り回しされてしまったキャラクターであることは間違いない。笑

あと坂元脚本ぽさがあったのは1番このパートな感じも。「大丈夫」と「また今度」の件や男女の距離感の生々しさを描かせるとやっぱりすごいなあ。書籍の誤字を見つける趣味がキーになって事実に一歩近づく感じもよかった。瑛太に当てがきした、と見かけたけどヤバいやつと優しいやつの紙一重感すごい、と思わせる演技がすごかった。

そして湊の視点。自分の自我や嗜好に気付きはじめるタイミングで、あまりにもそれを自覚するには苦しい環境だったことはそうで、早織の気遣いの言葉も保利の励ましの言葉もときには凶器となり湊に刺さっていく。

その中で依里の存在はどれだけ大きかったか。普通に、私たちが小学生のときにあった感情じゃないのかな。親には言いづらい、先生にも言えない、閉鎖的な学校という空間の中で感情を吐露できたり共有できたりする友達の存在の大きさ。

そこにある感情は今よりも多感で、何かにくぐって決めつけたりできないグレーなものだと思う。

その外圧って全然大人になっても変わらないよね。なんか感じちゃうよね。ふんわりそこらに漂っているのはやっぱりさまざまな正義や主義主張が潜んでいるからで。

依里の父親とかまさにそうだよね。発言に潜む思考がめちゃ見えてくる、しそういう人も実際一定数いる。

学歴は?とほぼ初対面の保利に言って自分の経歴を明かすのは、高学歴=正しい、ちゃんとしてる、低学歴=正しくない、ちゃんとしてないという思考が背景にあって、さらに教師って薄給なんでしょ、って投げかけてるのも、その基準でいうと見下していることがわかる。だから依里の鏡文字=何かしらの学習障害があるーーなんて彼の中ではタブーでしかなくて、さらにもう1つのことも加わって、それが自分の息子だと認められない哀しさ。そんな思考を形成させてきた社会。

そこには早織も似たような思考があって、結婚して家庭を持つ=幸せ、独身=不幸せ、が背景にあるってことで。早織が息子のために抗議して「人間ですか?」と怒った校長が後にしょうもない、と一蹴する皮肉。

この構成だから田中裕子演じる最初のいや〜〜な感じの校長のその一言が効力を発揮して、感動に繋がったのかなって。早織の発言は子供大人関係なく呪いになる可能性のある言葉で、それを校長によって解放させてくれたのがよかった。多分ずっと記憶に残る台詞だと思う。

何よりやっぱり是枝さんは子供の演出のうまさが際立ってるよね。演技なのに自然体な子供たちが画面にいて、今回の湊と依里の2人が本当によかった。曖昧で脆い2人。

だから最後がどうしても哀しい結末を想像してしまう。台風前後の文脈…。美しい映像と2人の解放された姿、そして坂本龍一の音楽。美しさと反して頭には是枝さんの『誰も知らない』のような展開を想像してしまう。

でも、やっぱり今回の作品が白黒以外の部分に真実があるよ、ってテーマならラストも白黒つけない結末になったのはそうだよね、となった。

是枝作品で何が好き?と聞かれたら私は多分これから『怪物』って答えると思う。
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