生き辛さを多かれ少なかれ感じて生きてる人は、共感するかも。
自分は1人じゃない。
分かり合える喜び。
普通に生きる事の難しさ。
普通ができなくて自分を責め続ける人生。
どうしたって比べてしまう。
比べて、分かり合えないと拒絶。
「あー。自分何やってんねやろ」って後悔。
普通に生きて来たら自分と比べて少しでも違いがあると、自分の中の常識って物差しで測って否定する。
否定された側にとっては普通の事。
だからこそよりショックが大きい。
普通に生きれる奴らに理解者面されるのもムカつく。
「認めてあげる」
何で上から?
お前らに認められないと生きてけないの?
「もう放っといてくれよ」って。
そしてまた拒絶。
自分が生きて行く為には、拒絶を選んだ方が楽になる。
でも結局1人では生きて行けない。
寂しいって現実が襲って来る。
生きるのってホント難しい。
自由に生きるのってホント難しい。
そんな事を思いながら観てた。
ミクロの視点では理解出来ないけど、
マクロの視点では理解し、共感出来る内容でした。
“普通”に生きてる人でも、そうなんやないかな?
稲垣吾郎のキャラがなんだか辛かった。
普通に普通と向き合って現実を生きてるからこその孤独感というか。
今の時代の犠牲者というか。
誰かが決めた普通の枠組みの中でしか物を語れない。
でも、それが普通でもある。
家族の仲を描いてるシーンがホント…。
息子が風船膨らませてっていうあの感じ。
意地悪やなって思った。
「他人に生かされてる奴に限って、権利を主張したがる」っていう、好きな漫画のワンシーンがあるんやけど、それを思い出した。
意地悪〜って。
母親然りね。
全部他人任せなんやもん。
あの家族の描き方はほんと良い意味で最悪やったな。
男性恐怖症の女の人の役者さんのあの感じ、スゲーって思った。
キョドってる感じ。
ビクビクしてる感じがよく出てた。
あのシーンも良かったな。
完全論破される感じ。
あー生き辛いですね。こんな世の中。
まぁみんなどうにか死ぬまで生きて行きましょう。