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福田村事件の小のレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
3.9
森達也監督がずっと考えていることを多く盛り込んだ映画かな。女性記者のエピソードなど現代的な要素も加え、説明臭も強めなことから言いたいことはとてもわかりやすい。

優しく、善良な個人が集団になると、とんでもない悪に手を染める。戦争はその最たるものだろう。現実に攻撃を受けていなくても、自分が殺されたらどうするという理由から「自衛意識」が集団内で優位になると、個人は他者に危害を加えることも厭わない。また集団に同調しないことは自身の身を危うくするので、危害を加えたくなくとも加担せざるを得なくなる。

自衛意識が優位となった集団は、不安・恐怖を和らげるため異質なものを排除して、同質なもの同士でまとまり攻撃性を強める。なにかのきっかけで不安・恐怖に火が付けば、元を断つべく攻撃を開始する。

デモクラシーを学んだ者、過去虐殺に目を瞑り心に傷を負った者、村(日本)の外から来たり、村人と馴染めなかったりして集団の攻撃対象を「異質なもの」と感じていない者は、一触触発の集団に同調することなく、冷静になるよう声を上げる。しかし「自分が殺されるかもしれない」という恐怖の前に、理性的な言葉はキレイゴトに過ぎず、力を持たない。

自分の身を危うくする可能性があるものをなくしてしまおうとする構造・メカニズムは生命にとって合理的であり、本能としてインプットされているのではないかと思う。だから、これに逆らうことはとても難しく、歴史は繰り返す。

生命の本能を理性でコントロールし、虐殺、戦争をなくすことは可能なのだろうか。フロイト先生は<戦争への欲求を間接的に克服する>ためのヒントを2つあげている。
(引用は『ひとはなぜ戦争をするのか』(講談社学術文庫)より)

ヒントの1つは感情の絆。<戦火を交えてしまうのが破壊欲動のなせる業だとしたら、その反対の欲動、つまりエロスを呼び覚ま>せば良い。<人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻むはず>。

<感情の絆には、二つの種類があ>る。<一つは、愛するものへの絆のようなもの>。<もう一つの感情の絆は、一体感や帰属意識によって生み出され>る。<人と人の間に大きな共通性や類似性があれば、感情レベルでの結びつきも得られ>る。<こうした結びつきこそ、人間の社会を力強く支える>。

ヒントのもう1つは文化の発展。<文化の発展が人間の心のあり方に変化を引き起こすことは明らかで、(略)ストレートな本能的な欲望に導かれることが少なくなり、本能的な欲望の度合いが弱ま>る。

<文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つで><一つは、知性を強めること。力を増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていく>。

<文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方−−これほど、戦争というものと対立するものはほかに>なく、<文化の発展を促せば、戦争の終焉へと向けて歩みだすことができる!>

出演者の1人、東出昌大さんが舞台挨拶で「この企画のお話をいただいたときに、プロデューサーの荒井晴彦さんが、ハリウッドだったら、もしこれだけの規模の事件があったら、3~4回リメイクされててもおかしくない題材なのに、日本人はそういうのを取り扱ってこない、なかなか作れないとおっしゃっていました」と話したそうだけれど、こうした事件を芸術に昇華し、多くの人に届ける力が日本人はまだまだ足りないのかもしれない。

黒澤明監督は大林宣彦監督に「俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせる」と話したそうだけれど、多くの人の心と体が戦争反対となるであろう400年先を信じて、映画文化は歩み続けなければならないのだろう。

参考にした記事
https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/015/16/

https://hitocinema.mainichi.jp/article/interview-fukudamurajiken-moritatsuya

https://shortshorts.org/2017/topics/column/ja/2550
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