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オルガの翼のnetfilmsのレビュー・感想・評価

オルガの翼(2021年製作の映画)
4.2
 静寂の中で少女は、選手権と同じような緊張感で鉄棒に身を興じる。かと思えば少女の躍動する肉体は男たちをもぶっちぎり一等賞をもぎ取る。もの凄いポテンシャルである。2013年、15歳の少女オルガ(アナスタシア・ブジャシキナ)の姿はウクライナのキーウのオリンピック・センターに在った。オリンピック強化指定選手として友人のサーシャ(サブリナ・ルフツォワ)とも烈しく技を競い合う。鉄棒の難易度の高い大技「イエーガー」を成功させるために彼女は幾度も幾度も空に跳び上がる。トライ&エラーを繰り返すその姿は正に翼が生えたようだ。オリンピックに賭ける少女のひた向きな情熱はあまりにも順調に見えるものの、その帰り道に起きた突然の悲劇がオルガと母親の運命を大きく変えて行く。ヤヌコーヴィチ政権の汚職を追求していたジャーナリストの母親とその家族にとって、安住の地などどこにもない。時の権力者に楯突けば、相手が女であろうが子供だろうが容赦ない。そのドキュメンタリー・タッチのカメラはフィクションとノンフィクションの境界を曖昧にするのだ。命からがら難を逃れたオルガは母親と話し合い、父方の故郷であるスイスでナショナル・チームと合流し、欧州選手権を目指すことになるのだ。

 ウクライナに住む15歳の少女が遠く離れたスイスの地で暮らすのは容易ではない。その上ウクライナ語とロシア語しか話せない彼女はコミュニケーションにも難儀する。いつも傍にいてくれた母親も親友のサーシャの姿もない。今は幸運なことにSNSがあるからSkypeやZoomで会話出来るものの、物理的な距離は埋めることが出来ない。そのうち、少女の心を疲弊させるような衝撃の事件が故郷の地で起こるのだ。今作は2013年にウクライナで実際に起きたユーロマイダン革命を基にしている。時の政権を指揮するのは親ロシア派として知られるヤヌコーヴィチ大統領で、彼に反対する勢力はマイダン独立広場に集まり、大統領追放への声を上げたのだ。オルガの母親はこの急先鋒として知られ、だからこそこの運動を良しと思わないロシア側は暴力で服従させようとするのだ。少女の夢への飽くなき情熱に対し、遠く離れた故郷で行われる言論弾圧と暴力が少女をひたすら苦しめる。彼女が観ることは出来ない故郷の光景はSNSによって可視化され、世界中に拡散される。本来ならば練習に集中しなければならない場面でも、刻一刻と更新されて行く映像は彼女の母親を否応なく蹂躙していく。

 ユーロマイダン革命の結果はおわかりのようにヴィクトル・ヤヌコーヴィチを失脚させ、お菓子メーカーのオーナーであるポロシェンコに引き継がれた後、映画俳優出身のウォロディミル・ゼレンスキーがその座を引き継いだ。革命の結果東部2州はロシアへとなびきそれが引き金となり、プーチンのウクライナ侵攻へと繋がったとされているが真相はプーチンにしかわからない。だが今日の悲劇の大元にはユーロマイダン革命があったのは間違いない。故郷ウクライナを離れねばならなかった少女の痛みが、彼女の肉体を通して伝わる。宙づりや着地といった体操という競技が持つ肉体的な挙動が故郷で繰り広げられる政治的な運動と不可逆にモンタージュされ、不意に胸を締め付ける。心と身体は引き裂かれ、10代の少女の繊細な感情は不安に苛まれる。これが映画初出演となるアナスタシア・ブジャシキナの堂々たる演技は観る者を魅了してやまない。90分という時間の中に少女の葛藤の全てが含まれ、ウクライナという国の今日的な問題が露になる。個人にフォーカスしていくことで国家の問題をも包括しようとする淀みないエリ・グラップの手腕はこれが長編初監督とはとても思えない落ち着き払った完璧な仕事にも思える。
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