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半透明なふたりのdm10foreverのレビュー・感想・評価

半透明なふたり(2022年製作の映画)
3.6
【誰そ彼時】

先日、仕事帰りにradikoでトーク番組を聴いていたらゲストに藤井フミヤが出ていて、新曲と一緒にこの短編映画の紹介をしていた。
「永山瑛太と川栄李奈が出てる」「曲はフミヤが書き下ろしている」「チェッカーズ時代の曲も使ってる」等々一気に興味をそそられる。
「いつから~」っていう大事な部分がトラックの騒音でよく聞えなかったけど「無料で公式Youtubeで観れますので是非」なんて言われちゃったら気になるじゃない。

っていうことで、タイトルを忘れないように速攻フィルマでクリップして、家に帰ってから検索してみました。
まずジャケット見てビックリ!
え?これってコントですか?と。

でも、見ていくと何だか痛くて切ないお話し。
瑛太の「怒りや痛みという感覚さえも質量を持った存在感」と川栄ちゃんの「どこか空気のような儚げな存在感」が作り出すなんとも不思議な空間。

――「鼻が大きすぎる」というコンプレックスのせいで、世間に溶け込めないでいる主人公の龍也(永山瑛太)と、学生の頃に虐められて負った傷が原因で眼帯が外せない文(川栄李奈)。
二人は共に社会の中にうまく溶け込まないまま、世界の端で孤独に生きていた。
社会と隔絶しているわけでもなく、かといって積極的に社会とかかわるでもなく。
ただ、何もしなければ何も起きない・・・

この鼻のせいで、いつもバカにされ社会の仲間にはなれない孤独。
それならばいっそのこと透明人間にでもなれば誰にも何も言われない・・・。
でも、社会は龍也をそっとしておいてくれない。
彼の見た目に対するネットやSNSでの誹謗中傷や罵詈雑言・・・。
「一人の普通の人」として認めてもくれないくせに、透明人間になることも許してくれない。
存在を消したいのに、消えることも許されない・・・。

イジメが原因で学校が嫌になって引きこもりになった文。
しかし、偶然にも彼女の名前(文)は呪いのように彼女についてまわる。
社会の悪意を謝絶したくてヘッドホンで耳を塞ぐ。
そこに確かに存在してるのに、まるで息を殺すかのように存在感自体を感じさせない不思議な文

ある夜・・・
龍也が働く夜のコンビニを文が訪れたことから二人の運命が動き出す・・・・。

題材は、芥川龍之介の「鼻」という小説。
内容的にはほぼ原作に沿っていますが、文は今回のオリジナルキャラ的な立ち位置です。
自分がずっとコンプレックスに思い続けていたものすらも、ちゃんと自分の一部なんだよということに、失って初めて気がつく。
他人の評価なんて案外根拠のない勝手なものなんだなっていう事に気付かされます。
詰まるところ、人間なんて個性の塊だから。
その個性を羨むも蔑むも他人の勝手な価値観。
そしてそれを「特徴」とするか「コンプレックス」とするかも本人次第なのかもしれない。

社会の中でなかなか居場所が見つけられなかった二人が互いに見つけた居場所。
まだ薄くぼやけて見えるけど、でも受け止めてくれる人がいる。

ずっと目の前に人がいるのに正体がわからないままの「誰そ彼時」を生きてきた二人に訪れる「彼は誰時」。
薄っすらと見えてくるお互いの姿は、社会の中ではまだまだ完全な存在ではないのかもしれないけど、かといってまったく存在しない透明というわけでもない。
見える人にはきちんと姿が見える「半透明な存在」。
今は、これがこの二人には丁度いいのかもしれない。
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