しの

逆転のトライアングルのしののレビュー・感想・評価

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
3.0
アホで空虚な金持ちをお下劣表現でクソミソにしつつ、それにたかる奴らも見下されている奴らも結局クソミソにする。言ってしまえば諦観が作品全体を支配しているので、「滑稽にこき下ろしました」以上の何かがない。それで笑って終わりだと、それこそ空虚ではと思ってしまった。

一幕目の「どっちが奢る」論争は人間味があって面白かったので、例えばそこから男が女を惚れさせる奮闘を描くコメディとかに発展していけば、むしろその方が他者を見下す心理やジェンダー解体などに繋がっていったのではと思う。しかし彼らは結局「こき下ろされ役」でしかない。

二幕目の金持ち達もまさにそうで、「ムカつくからゲロ吐かせたれ」くらいのモチベーションで造形されたキャラクターでしかなく、そこに解像度も見せ方の工夫もないので、言いたいことは分かるけどそれにこんなに尺をかけられても……とは思ってしまう。金持ちだけ吐かせるのも変だし。

その意味では三幕目で「もしかしたら自然状態では人間って他者を尊重できるかも」と思わせる揺さぶりがあれば良かったが、特にそういうものもない。前向きな話にしろという訳ではなく、全方位に喧嘩売る話でもせめてそういう「揺さぶる」瞬間がないと、主張の確認作業にしかならない気がするのだ。この感覚は『バビロン』にも通ずるところがあり、対象をこき下ろしたいという目的が先行して、工夫のない(しかし「笑える」)クソミソ描写が続くだけだと、その作品自体が空虚になるという皮肉な事態になってしまう。そういう風刺は結局、他人事に思えてしまうのではないか。

この手の金持ちこき下ろしブラックコメディは最近流行っているが、その中では『ザ・メニュー』が自分は一番好きだった。あれは対象を滑稽に貶すだけではなく、「人って本来こうなんじゃないか」という願いにも似た原点を素朴に提示する瞬間がちゃんとあったから。強いて言えば本作はラストに含みを持たせているものの、そこで揺さぶられるに至るキャラクター描写がない(そもそもアビゲイルをはじめ「役割」しかなく、どんな人間なのかが分からない)ので、やはり目的先行な感じが最後まで払拭できない。やるならせめてもっとタイトにして欲しかった。
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