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花様年華 4Kレストア版のnetfilmsのレビュー・感想・評価

花様年華 4Kレストア版(2000年製作の映画)
4.3
 「女は顔を伏せ、男に近付く機会を与えるが、男には勇気がなく女は去る」だったか。私は冒頭のこの文字列を観ただけでほとんど無条件で涙腺が緩む。この後にスクリーンで繰り広げられる男と女のそれは、わかり合えず、結ばれぬ運命の切なさに胸が苦しくなるのだ。1962年香港、新聞記者のチャウ(トニー・レオン)と社長秘書をしているチャン夫人(マギー・チャン)とは偶然同じ日にアパートを借りようと大家のスーエン夫人の元を訪ねる。その出会いの瞬間から、2人の視線の交差と横顔が極めて印象的だ。どちらも伴侶を抱える2人は互いに深く入れ込むこともないが、マギー・チャンを見つめるトニー・レオンの眼差しはまさに永遠の人を見つけた気恥ずかしさと確信に満ち溢れる。その記憶は明らかにウォン・カーウァイの『欲望の翼』と地続きの印象を受ける。トニー・レオンにマギー・チャン、そしてスーエン夫人を演じるレベッカ・パンまで『欲望の翼』と一致する物語は最初はチャウの妻と、チャン夫人の夫をキャスティングしていたものの、実際に撮影された映像には俳優たちの正面からの姿は登場せず、後ろ姿や声に僅かに著名を見るだけだ。ウォン・カーウァイは彼らの出演シーンを削ってまで、トニー・レオンとマギー・チャンの視線の交差に固執する。いつものように狭いアパートの廊下で、角度が急な階段で、或いは室内が見通せるドア前で、そして時には大雨を避けるための軒下で。2人は何度も視線を交わしながら、親しげにゆっくり話し掛ける。

 2人は互いの伴侶の決定的な「浮気」で通じている。繋がっている。とても人には言えない「秘密」を共有しながら、不倫関係を清算させようと画策する2人の間には会うべき理由があるのだ。タイトルの『花様年華』とは「花のように美しい時間」の意味を持つ。ファミレスで軒下で、逢引きを終えたタクシーの中で、2人は互いの絶望と怒り、失望と立ち消えぬ想いとを共有しながら、微かに惹かれ合う。最初に恋に落ちたのは男の方だったかもしれない。だが女もまた不倫を公に出来ぬ60年代の香港の空気の中で葛藤し、男の情熱的な瞳には抗えない。ポマードで撫でつけるようなトニー・レオンの髪型、そして襟の高いチャイナドレスを纏うマギー・チャンの大人の恋。初めてチャウが愛を告げた時のチャン夫人の恍惚と拒絶が忘れられない。夫はそんな言い方はしないと言い放ちながら、衝撃的な瞬間と相対するように繰り返されるセカンド・テイクの抒情性に私はすっかり魅了されてしまう。夫をなじる予行演習と称し、繰り広げられるマギー・チャンのビンタは夫とは別のトニー・レオンに僅かに掠るだけだ。男はそんな女の態度に苛立つ。「秘密」を共有する2人は、「秘密」を弄ぶことで「秘密」の苦しみを分かち合う。だが互いの想いを知ってしまうことで行き違っていく。目的とは別の目的が彼らの眼前に現れることで、2人はまた新たな苦しみの只中に陥るのだ。ノスタルジーの言葉で片付けるにはあまりにも甘美な男の記憶は、2人の記憶を永遠に閉じ込める。タバコの煙はゆらゆらと天井を漂い続ける。アンコールワットの壁穴に彼が閉じ込めた言葉を我々が知る由もない。だがトニー・レオンの後ろ姿はエモーショナルで、心からの哀しみを讃えている。
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