王冠と霜月いつか

ザリガニの鳴くところの王冠と霜月いつかのネタバレレビュー・内容・結末

ザリガニの鳴くところ(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

がっつりネタバレです。ご注意下さい。

大ヒットした小説の映画化だそうで。原作未読です。

まずタイトルですよね。
「ザリガニの鳴くところ」
Where the Crawdads Sing.
これは何を示唆しているのか最後まで意味がわかりませんでしたが、そんなに深い意味は無いのかなと思います。

法廷シーンをメインに据え、カイアの過去からのエピソードを挟む展開で進むストーリー。
感じた違和感は
①無罪評決が出て無罪放免に成ったカイアが、何故か、雑貨屋の御夫婦とはハグするのに、テイトとは指先で軽く握手?するだけで、呆気なく兄に送ってもらい法廷を後にする。
②カイアが1度も自分はチェイスを殺してないと言わない。
の2点。
①は、無罪にはなったけれど流石にカイアには罪の意識があって1番好きなテイトには嘘を付くのが忍びなかったから?と思ったんですが…テイトに罪を着せようとした自分を恥じてなのかも(赤いニット帽)…怖っ!と思いました。
②は、弁護士が聞かないというのもありますが、彼女自体は覚悟を決めていたんでしょうね。それが「裁くなら勝手にすれば良い」という台詞に表れているのかなと思います。或いは、通常、証言台で偽証をしません。と聖書に手を置いて宣誓しますよね。そのシーンは無いのですが誓ってる筈です。彼女は活字欠乏症だったので、聖書も隅々まで読んでる筈です。自分や兄妹達の生年月日の書かれた聖書を大切にしていましたよね。そういう事情もあるかも知れません。

検察の言うことは、主張に過ぎないと弁護士が最終弁論で陪審員に訴え、アリバイはあると言うのですが、1つも証明出来てません。推定無罪の原則があるので弁護士に証明の義務は無いとは言え、弁護士が言うことこそ主張に過ぎず、カイアの少女時代から受けている父親からの暴力、町の人々からの差別、チェイスから受けた暴力等を観ている私たち観客は、カイアに同情的になっていますし。恐らく、検察が言った通りの行動パターンでチェイスを突き落として殺したんだと思います。西村京太郎の乗り物アリバイトリックみたいな事言い出すのも笑って観てましたが、カイアはバスの時刻表をジャンピンさんの雑貨屋で写させて貰ってるんですよね。

ショーシャンクの空にで、アンディは聖書の中に脱獄用のロックハンマーを隠してましたけど、カイアは自分の本の中に貝殻のペンダントを隠していたことを遺品整理をしていたテイトが見つけます。あの貝殻をリスクを冒して回収したのは、あの貝殻にチェイスへの気持ちが込めてあって、それを踏み躙ったチェイスには持っていてもらいたくないと思ったのでしょうね。

私は良く出来ていて面白いと思ったのですが、原作ファンからは不満点が目立つようです。映画の尺に、小説を修めるのはそもそも難しいんですけどね。

原作読まないと駄目かな?

原作ファンの方からコメントいただけると嬉しいです。

テイラー・スウィフトが原作の大ファンで主題歌歌うって手を挙げたらしいですね。英語だから私にはわからないけれど、字幕でネタバレしてましたね(^_-)

終わりに…
この映画では、事件の真相を究明する探偵役が出てきません。何故なら、監督が観客に見せたいのは、謎解きストーリーではなく、カイアの人生のドラマだからです。探偵役は、我々観客に委ねられています。もし探偵役を演じるなら、トリックを解明して嬉々としてドヤ顔で「犯人はお前だ!」と指差す様な稚拙なキャラクターではなく、市川崑が描くモジャモジャ頭で皺だらけの絣の着物と羽織によれよれの袴姿を合わせた和服姿の犯人の心情を慮れる心優しき名探偵となり今回の事件を自分の胸の内にしまっておこうではありませんか。