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アイ・アム まきもとのmaroのレビュー・感想・評価

アイ・アム まきもと(2022年製作の映画)
4.0
2022年日本公開映画で面白かった順位:39/147
  ストーリー:★★★★★
 キャラクター:★★★★★
     映像:★★★☆☆
     音楽:★★★★☆
映画館で観たい:★★★★★

元ネタは2013年のイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』。
Amazonで観れるので、そちらを鑑賞してから本作に臨んだけど、とてもいいリメイクだった。

個人的な経験上、リメイク作品はオリジナル版の方がよかったなと思うことが多い。
でも、この映画に関しては、オリジナル版をほぼ忠実に再現しつつ、日本に合うようにとてもうまくアレンジされていたのがよかった。

それが一番よく表れていたのが、主人公の牧本(阿部サダヲ)である。
キャラクター像はオリジナル版と軸は同じ。
身寄りのない遺体に自費で葬儀をあげる優しさ。
真摯に仕事に取り組む真面目さ。
そして、見送った人々の写真をアルバムにまとめる几帳面さ。
この3つが彼の魅力であり、そこが変わっていないのはよかった。

大きく異なったのが性格だ。
オリジナル版で主人公だったジョン・メイ(エディ・マーサン)は、とにかく寡黙な人物。
必要以上のことは話さず、誰にも迷惑をかけず、黙々と仕事をこなす。

一方、本作の牧本はどちらかと言えばおしゃべり。
人との距離感もややおかしく、極度のマイペース。
自分がこうだと思ったら他なんておかまいなしに突き進む。
ある意味、素直で純粋な人物だった。
それが、阿部サダヲという役者とすごくマッチしていて、ストーリーは感動的ながらも、あのコミカルなキャラクターは笑いを誘う。
そう、涙と笑いのバランスが絶妙だったんだ。
オリジナル版を観ているので、もちろんオチは知っている。
でも、ラストの描かれ方が本作の方がもう少し丁寧になっていて、内容はわかっていても泣けた。
もしかしたら、オリジナル版を観ていた方が楽しめるのかも。

僕も祖父母は亡くなっているので、人の死に直面したことはある。
だから、劇中で上司の小野口(坪倉由幸)が言っていたことには一理あった。
「葬儀は残された者のためにやる。その残された遺族が望んでいないならやる意味がない」
「死者の想いなんかない」
死んでしまったらね、もうその人の意志なんてないよね。
葬儀をあげようがあげまいが、本人にはもはや関係なく、生きている人の自己満だっていう気さえする。
それに、死んでしまったら、なかったことと同じというか。
人がひとり死んでも、世の中は何事もなかったように日常が続いていく。
そう考えると、牧本が自分と何の関係もない人たちのために、自費で葬儀をあげる行為は、確かに無意味かもしれない。

とはいえ、牧本が蕪木の身内の人を探していると、蕪木のエピソードが出てくる出てくる。
彼の場合は悪いことの方が多かったけれど、この世に生まれて、生きて、他人と関わり、影響を与えていたっていう事実はあるんだよね。
そこにはひとりの人間の歴史がある。
たとえ社会的に何の意味もなくとも。
そう考えると、いくら生きている人(残された人)の自己満とはいえ、やっぱり何かしてあげたくなっちゃうなっていうのは共感できる部分だった。

そんなわけで、笑いと涙のバランスがいいヒューマンドラマ。
牧本の察しの悪さがとにかくおかしいし、最後のオチに涙する感動作。
エンディングで流れる宇崎竜童が歌う“Over the Rainbow”も素敵でした。
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